ウインドソルのミステリー


日本でも報道されたようだが、2月12日の土曜にマドリッドで大規模なビル火災が起こった。オフィス街にあるウィンドソルという26階建てのビルだ。

土曜日の夜、いつものことだが「あー、明日は休みだ!」とベッドで古い推理小説を読みながらうつらうつらしていると「ママ、火事だって。けっこう大きいみたいだよ」と息子の悠が隣の部屋から声をかけてきた。
「で、どこ?」
「マドリッドだけど、どこだかよくわからない」
「うちの近く?」
「・・じゃないと思う」と言うやり取りを、私はベッドに寝たまま、悠はテレビを見ながらした。別にうちの近くじゃないのなら問題ないか・・消防車の音も聞こえないし・・とナマケモノの化身である私はそのまま寝てしまった。

翌日のこと、スペインの日曜日の朝は、子供のマンガか宗教番組、もしくはクラシック音楽しか放映していないのに、火事現場を中継しているではないか。火事は、鎮火したものの、まだくすぶっていて煙がでている。悠を同時通訳にして見ていると、この火事による死傷者はいないが、消防士の数人が煙を吸ってしまったらしい。
ビルのある場所はオフィス街の中心だ。すぐ近くには空港までゆける地下鉄駅やデパートを含むショッピングモールがある。実は私もその近くには良く出掛ける。口座のある銀行が近くにあるし、悠の学校が所属する教会の聖堂も近い。

死傷者が出なかったのは、火災が起こったのが土曜日の夜だったことが幸いしたようだ。日本の友人達からも「死傷者が出なくて本当に良かったね」とメールをもらった。本当に良かった。でも悠と私のニュアンスは少しばかり違うかもしれない。私達がまず思ったのは「土曜日の夜に働くスペイン人がいるかい。」ということだ。
これが日本だったら残業している方々がいるか、「たまたま誰もいなかった」と報道されるのでないだろうか。この辺がスペインと日本の違いだろうなぁ・・とつくづく思う。

この火事の影響で一部の地下鉄がとまり、近くの道路も封鎖されているらしい。
ところで、その日はウィンドソルの反対側に住んでいる友達夫妻のうちに遊びにいく事になっていた。普段からよく行き来する友人のマンションは、私達の家から地下鉄で一本、15分もかからない場所にある。テレビによるとその途中が不通になっているだけらしいので、とりあえず友達に連絡してみた。電話を取った奥さんが「私もめんどくさいから見なかったんだけど、朝、犬の散歩に出てみたら家の前からよーく見えるんだよね、焼け焦げたビルが。そのうえ焼けた紙とかが飛んできたし、焦げ臭いのよね。」という。そういえば彼女達の家は火事現場から歩いて10分というところだろうか。

ともかく私と悠は地下鉄の駅まで行ってみた。ところが一部不通ではなくて、全面的に不通になっている。仕方がないのでタクシーを拾って友人の家の近くにある地下鉄まで行ってくれるように頼むと
「あのあたりは交通止めになってるからねぇ」
「あのあたりで行けるところまででいいから」とさらに言うと「じゃ、行ってみよう」とようやくタクシーは動き出した。道路は渋滞というほどではないが、かなり混んでいる。いつもよりかなり迂回して、ようやくもよりの地下鉄駅にたどりついた。

レストランで深夜まで働いているご主人の言うことには「昨日はあぶなかったよー。もう少しで交通止めにあって帰れないところだった。すごい火だったから、彼女を起こしたんだけど、起きないんだよねー」とうちみたいなことを言う。男達は火をみて興奮したらしいけど、けっきょく女性の方が太っ腹ってこと?

その日の帰り道、地下鉄のある大通りまで出てみると、ちょうどバスがきていた。これに乗れば少なくとも家から15分のシベーレス広場に出られる。だが、5分も走ってサッカーのレアル・マドリッドの本拠地サンチャゴ デ ベルナベウ競技場前に着くと、道路は交通止めになっていて、バスは大きく左折して坂をどんどん上っていく。いきなり今度は右折すると結構なスピードでバスは走りつづける。こういう時はとても不安になるものだ。「ここはどこだろう?」と心配になって、なんだか迷子になった子供の心境だ。

するといきなり後ろの方から「一体、私達をどこに連れて行くつもりなの!」と叫び声が聞こえた。「案内も何もないし、どこで止まるんだ!」と次々に声があがると目の血走った運転手が負けずに「俺だって知らないよ。だいたいこの辺には停留所がないだろ!」と怒鳴り返し、バスの中は罵声であふれてしまった。

こういう時のスペイン人のすごさは尋常じゃない。はじめに叫びだしたおばさんに加勢する人、声でいっぱいになってしまった。まもなく気が付くとバスはもとの大通りに戻っていた。叫びだしたおばさんは「このままじゃ家に帰れないわよ!」と捨てせりふを吐いて立ち上がった。ふと見るとウインドソルの焼け焦げた姿が良く見える。「写真を撮ろう!」と私達も降りた。

気が付くと一部通行止めになった大通りにはたくさんの人達が歩いている。写真を撮ったりいつもは歩くことのできないとおりの真中を散歩したり、時ならぬ歩行者天国だ。
それで、私達も写真を取りまくりました。
 
その後、ウインドソルの周りはいまだに立ち入り禁止だ。
毎日のように火災について原因や燃えてしまったビルの解体、その後について報道されている。
ところで、数日後にテレビでは、誰もいないとしていた火事現場に2人ほどの人影が映っている映像をながした。火を背景にはっきりと人影が写っている。その後の報道によると素人を含む3人が撮影した同じようなビデオが発見されたそうだ。

一体誰?火事場泥棒、消防士、警備員だ・・とこのミステリーはいまだ解明されていない。
それに漏電といわれる火事の原因も今ひとつはっきりしないようだ。
最近のマドリッドでは、ウインドソルビルは観光名所になってしまったらしく、週末になると大路の人で賑わっている。