カトリック

前回、3月11日におきたマドリッド列車同時爆破テロ事件のことを書いたが、その後マドリッドでは被害者の国葬が行われた。

私と息子はその様子をテレビで見ていたのだが、カルロス国王は目頭をおさえていた。また5月に結婚するフィリッペ皇太子は、遺族のおばあさんに「亡くなった孫はあなたと同じくらいハンサムだった」といわれ、おばあさんの肩を抱いていた。またクリスティーナ王女は遺族と抱きあって泣いていた。そのどれもが自然で、心のこもったものだった。この悲劇は遺族だけの悲しみではなく、スペイン国民全体、スペインと言う国の悲しみなのだ。私達はそれを強く感じた。

この国葬には各国の要人も参列された。日本からは森元首相が来西されたようだ。
スペインでは被害者に多くの移民がいたことを考慮して、被害者やその家族にスペイン国籍、または労働・居住許可書を発行すると発表した。

事件の起こった日はどのスペイン人も「今日はなんて悲しい日なの!」と嘆いていたし、抗議のデモ集会が行われる日は「今日はデモに参加するの?」と言う言葉が挨拶代わりだった。
こういったスペイン人の対応を見ていると、悲しみは同じでもどうしても日本とは重ならない。文化の違いといってはそれまでだが、スペイン人の根本には深いカトリック精神があるのだと思う。それとも日本と言う国が無宗教に感じられるのだろうか。

私の働いている会社は家族会社だからよけいかもしれないが、彼らの生活にカトリックは切っても切れないものだ。「ミサの時に・・」とか「教会で・・」等と言う言葉は日常茶飯事に聞こえて来る。私が会社に入ってすぐの時は会長のドン・ホセミゲールから「私達家族の教会は、君の家の近くにあるどこそこで」と説明を受けた。すかさず嫁のモニカが「みやの息子はカトリックの学校に通っているのよ」と言うと会長は満面の笑みを浮かべた。会社の全員が「それは正しい選択だ。スペインに住む以上はスペインの現地校に通った方がいい。それがカトリックならなお良い」と誉めてくれた。誉められてくすぐったかったが、学校を選んだときはそこまで考えていたわけではなかったのだ。

息子の学校では当然、宗教の授業がある。採点もされるし、学校の行事はすべて宗教がらみだ。
学校になれて授業にもついていけるようになった頃、担任の先生から「彼は宗教に関してはできない、わからないというより興味がないようね」と言われた。

息子に「宗教の授業は興味がないの?」と聞いてみると「あんまりない」という。
さらに息子から「僕はカトリックの学校に通っているから、キリストを信じなくてはだめなの?」と聞かれた。「ママはどっちでもいいと思う。その問題はとっても難しくて大人でも悩むから。ただスペインにせっかく住んでいてスペインの学校にいるんだから、宗教の勉強もしてみると、もっとスペイン人のお友達やスペインの事がわかるようになるかもね」と答えておいた。どう思ったのか、息子の反応は「ふ〜ン」と言う程度のものだった。しかし、私自身は宗教には何ら関係ない学校に通っていたので、彼らがどんな勉強をしているのか、とても興味があった。息子に聞くと「たとえば災害があって苦しんでいる人たちの映像がテレビニュースで流れていました。見ていた人が「ちぇっ!」といってテレビを消した。その行為についてあなたはどう思うか?っていうのをやった」と言う。なかなか興味深い質問だ。こういう場合、とくに正解と言うのはなく、先生を中心にみんなで話し合うそうだ。時には、ロールプレイなどもするらしい。ちなみに息子の回答を聞いてみると「みんなは悪い人!って言っていた。僕はよくわかんないけど、残酷なのは見たくない人かも・・僕も血が出るのはいやだからって答えた」そうだ。

また息子が「宿題」といって絵を書いている時は、ほとんどが宗教の時間の宿題だ。スペインではカレンダーを見ると、毎日それぞれの聖人の日が記入されている。日本にある大安、先勝といった暦と同じ感覚なのかもしれない。だから息子は何か大きな聖人の日があるたびにそれにちなんだ絵を描く。つい最近はキリストの復活を題材にした絵を描いていた。が、これらは本格的な絵ではなくコピー用紙に鉛筆で下書きして、さらに色鉛筆で彩色すると言う簡単なものだ。そういえば、昨年ローマ法王がスペインを訪れたときには学校中が法王を歓迎する生徒達の手作りポスターで埋まっていた。

何度もこうした絵を描く事によって、聖書の中の物語に息子は息子なりのイメージを浮かべているようで、宗教の時間が少しづつ身近なものに感じられるようになってきたらしい。6年生の息子が新学期の始めに書いた「今学期の自分の目標」は「"与える"ということを学ぶ」と言うものだった。これは新学期のクラス懇談会に出かけ、壁に貼ってあった手書きのポスターを見て初めて知ったものだ。

スペイン語と日本語のの表現の違いもあるだろうが、このとき「うちの子はカトリックの学校に通っているんだ」とつくづく思った。

今のところ、私も息子も日本にいた頃と同じ、ほとんど無宗教に近いものだ。
お正月もクリスマスも何でもあり、特に信心はしていないが、何らかの神様の存在は感じているというところだ。今年の4月第一週はセマナ・サンタ(聖週間だ)。この週の最後が復活祭となる。マドリッドでもキリストやマリアを花で飾った山車が練り歩くので、私達も見に行く事にしている。その時の雰囲気は本当に独特だ。
そのことは、また次に書こうと思う。