この数日


3月20日。スペインでも朝からずっとイラクに対するアメリカの開戦のニュースを朝からずっと流している。イラク問題がどうなるのかスペインでもずっと関心の的だった。

スペインはアメリカ、イギリスと一緒にはじめからイラク戦争に賛成してきた。
国民感情は別でも、アスナール首相は早い段階から賛成の立場を取りつづけてきた。
日本の新聞やインターネットで読む日本の記事は「アメリカ・イギリス・スペイン」と書かれている訳で、スペインに住んでいる私に「だいじょうぶ?」と聞いてくる人もいた。

この数ヶ月、マドリッドいやスペイン中で「戦争反対」のデモはいたるところであった。特にこの数週間は、毎週末になるとマドリッドの中心地でのデモがあった。

だいたい夕方から行われるデモは、夜8時、9時には解散になる。その頃には家の近くのグランビア通りは人でいっぱいになり、地下鉄も乗車規制をするくらい混む。

参加しているのは本当に一般の人たちで、若者もいるし、子供をつれた家族連れも多かった。通りの真中で輪になって「戦争反対!」と叫ぶグループもよく見かけた。

「戦争反対」の垂れ幕が、通りに面した家々のベランダで見られた。
同じように反対のバッチを胸に付けた人もたくさんいる。
私自身はどう考えたらいいのかわからず、それを遠まわしに見ていた

もちろん戦争には反対だ。戦争をしたら絶対に誰かが死ぬ。家や職場、自分の町や自分の世界をなくしてしまう。そして建物や仕事だけではなく、その人の歴史や思い出、心まで失ってしまうのだから。

親しくしている人に「イラク問題」はどうなるのか?
と聞いてみることもよくあった。「戦争はぜったいない」という人も「ある」、また「あるけど、すぐ終わるだろう」色々な意見を聞いた。

こんなとき、私はスペイン語が達者でないことが歯がゆくてならない。

テレビのニュースを見ても新聞をみても、ニュアンスは少々わかるけれど、きちんと理解できないからだ。
家では息子とよく「どうなるのか」という話しをするようにもなった。
ここ数日はアメリカが最後通告をしたこともあってよく二人してニュースをみた。

息子はいつになく真剣にニュースを見て、翻訳してくれた。

もちろん単語が難しすぎて理解できない部分はあるのだが、おかげで私も以前よりは状況がわかってきた。
スペインに関して言えば、前線の戦闘には参加せず、弾薬の輸送などの後方支援活動を中心にするそうだ。それでも戦争に賛成で、参加することには違いない。

この22日、自宅近所のモンテラ通りでデモ隊と警官がぶつかり、60人ものけが人が出た。その日は夜8時過ぎに家を出たのだが、すでにグランビア大通りはデモの人波でいっぱいだった。私はそのまま地下鉄に乗ってしまったので、その後の混乱を知らなかった。翌日の日曜日にニュースを見ていると、なんだか見たことのある町並みが映っていた。商店やバル、映画館やホテルもある、その通りのほとんどのショーウインドウはスプレーで「戦争反対」と書かれ、ガラスを割られた店も何軒かあったようだ。


警官隊に追われた人が逃げ込み、混乱するのを避けて、バルやレストランは軒並みシャッターを閉めたようだ。「戦争反対」なのに、多くのけが人が出てしまうなんて・・

この近くには友人の経営しているレストランもある。戦争が始まる前から、デモのたびに商売は上がったりだそうだ。心配で電話をしてみると「その日は店を開けていることができなくて、途中で閉めたのよ。怖かったわ」と話していた。


24日、スペインの代表的新聞エル・ムンド誌の一面は目を覆うような写真が掲載されていた。イラク戦争に被害にあった少女の写真だ。彼女の両足は足首から下が吹き飛ばされたのかボロ布のようになっていた。救助の人に抱きかかえられていた彼女の顔は薄く目をあけたままだ。職場でも同僚達が「なんてかわいそうな!!」と、この写真に見入っていた。この少女が助かるのかどうかわからない。もちろん助かってくれることを望む。でも、この先の人生がつらいものになるだろうことは、想像できる。


どうしてこの少女はこんな目にあわなくてはならないのだろうか。

スペインは日本よりもずっとイラクに近い。私の周りのスペイン人たちが、この戦争の話しをした後、「ここまでイラクのミサイルが飛んでくるわけではないけど・・」と苦虫を噛み潰したような顔で付け加える。ただ、テロ行為による報復の可能性はずっと高いかもしれない。
新聞の投書のようになってしまうが、スペインの多くの国民も戦争には反対している。

暖かくなり、外のテラスで一杯飲むのがおいしい季節になってきた。

こんな戦争は早く終わってほしい。