十年一昔(スペイン今昔)

一昔といってもたかが十数年前のことだ。
誰でも中年になって、過去を意識し始めると「あーあ、昔は良かった」というせりふが出てくるものだ。そう、ご多分に漏れずスペイン在住約3年のこの私も、そういう気分になることがある。といって、3年前と今とを比べているわけではない。

私は1980年代の後半に夫と一緒に3年ほどスペインに住んでいた事がある。
夫はフランスで勉強した後、アルジェリアで通訳の仕事をしていて、近いので休暇のたびにスペインに来ていた。そしてスペインを訪れるたびに「仕事の任期が終わったら、きっとスペインに住もう」と心に決めていた。天気が良くて、物価が安かったからだそうだ。

実際にそうなった数年後に私たちは出会ったわけだが、場所がスペインではない事もあって、私はスペインに対して何の思い入れも無かったばかりか、スペインの地に足を踏み入れることさえ、考えたことは無かった。

いわば「ふーん。スペインねえ、闘牛とフラメンコの国で一年中暑くて、昼ねばっかりしている国だっけ・・」くらいの誤った認識しか持ち合せていなかったのだ。

偶然の積み重ねで私はスペインに住むことになったのだが、当時を思い出すと、この十数年の間に、いかにスペインが都会になったか、目を見張るばかりだ。日本のように大きく町並みが変わってしまうことはないが、スペイン人の意識はずいぶんと変わってきたと思う。

まず日本やアメリカほどではないと思うが、とても健康志向になってきたと思う。町を歩いていても、昔のようにものすごく太った人に出会わなくなった。ごつごつした静脈瘤を足に作ったおばちゃん達もあまり見なくなった。
もっとも、うちの近所のような下町ではたまに見かけるけど。

なにしろ以前は、コーヒーを飲む時の砂糖は一袋12グラム、10グラムは普通で、それが二袋着いてくる事もよくあった。それが今では一袋、それも8グラムや「ちょっとおおきいなあ」と思うとせいぜい10グラムだ。少しおしゃれなカフェやホテルに行くと6グラムだったり、人口甘味料も一緒に出てきたりする。
その昔、住んでいたラ・マンチャの田舎では「12グラム二袋」が普通だった。
そして店の人に「砂糖、もっといる?」と聞かれるのは当たり前のことだった。

当時の私は、こっちはアラブに近いのでトルココーヒーみたいに砂糖をカップの底に入れておいてその上澄みを飲むのかと勝手に思っていたくらいだ。

でも、実際にはスペイン人たちは砂糖をコーヒーにちゃんと溶かして飲んでいた。
また、ごくたまにレストランで食事をすると、たっぷりのデザートの後には、コーヒーが来て、その後は甘いリキュールやコニャックを飲み、男性には葉巻まで勧められたものだ。それじゃ肥るはずです。静脈瘤もできるだろう。そもそも、その定食に着いてくる定番のデザートの中にナタ(生クリーム)があった。

名前そのもの、大きなデザート用のカップに、ソフトクリームのように生クリームだけが大盛りになっていた。私は本物のソフトクリームかと思ったくらいだが、当時スペインにはソフトクリームは無かった。日本で生クリームは苦手だったので、いつも敬遠していたが、試してみると、スペインの生クリームは純正動物性の上、濃厚で、ものすごく美味しかったのだ。あとで脂肪分が高そう・・と怖くなったが。当時、スペインに留学していた友人の一人も『あの時代に一番好きだったナタ』と懐かしんでいる。でも、そんなものは、今はどこのレストランでも見かけない。極たまに、デザートメニューの中に見かけることもあるが、頼んでいる人をみた事はない。

レストランによっては、プリンやイチゴの上に生クリームをたっぷりかけて出してくるところも多いが、植物性の泡立て済みのスプレータイプがほとんどだし、純動物性の生クリームそのもの・・と言うのは最近、見かけない。
それに、体型や健康を意識してか、デザートは食べない人たちも結構多い。
定食にデザートが含まれていても断ってコーヒーに変えてもらったり、デザート一皿を2人、3人でシェアする場合も良くあるようだ。

また、近年は健康食とかベジタリアンと銘打ったレストランがたくさんでき、その影響か今は日本食、特に寿司がブームだ。この前、なにげなくマドリッドの情報誌をめくっていると、最近はすしバーとか「ディスコすし」なんてのもあって、本当にびっくりした。どちらも行って見たことはないので、内容はわからないが、「すしバー」とはすしカウンターのことだそうだ。また友人の家の近くにできたバルでは、スペイン人経営者が、以前に日本レストランで働いていたことがあるので、つまみに鉄火まきが出ることもあるそうだ。

家庭用の料理雑誌を立ち読みしていても、すし風に盛り付けた前菜や、実際に「すし」の作り方が載っていたりする。内容はといえば少々、怪しげではあるが。テレピッザならぬ、「テレすし」という宅配すしもある(このテレは電話のことです)。もっとも私は試した事が無いのだが、中国人が経営しているという話しだ。

昔は自宅で食事会などすると、スペイン人の客は、まず日本食が食べられなかった。といっても、今のように材料が手に入るわけではないので、肉じゃがとかおにぎりと言った程度のものだ。仕方がないので中華風の炒め物やスペインに敬意を表してスペイン料理風のものを作ったり、ハモン・セラノと呼ばれるスペインの生ハムやチーズを用意すると、そればっかり食べて、客のスペイン人はおなかをすかせたまま帰っていくのがほとんどだった。
このごろは、友達を呼んで家でご飯を食べるときも、スペイン人の友人達に「ね、ね、日本食作るんでしょ?すし?さしみ?」なんて当たり前のように催促されるくらいだ。

日本食レストランの関係者に聞くと、「日本食=健康食」と考えているスペイン人も多くいて、中には菜食主義の人も来るので、往生する場面もあるそうだ。

例えば「みそ汁をお願い。でも私は菜食だから、魚のだしはだめなの・・」と結構細かいらしい。
その割に、デザートにアイスクリームを頼んだりして、『アイスは卵もミルクも使ってるけど、良いのか・・』と思うそうだ。

それにタイ料理やインド料理などの香辛料をたくさん使った辛い料理のレストランも増えてきた。私は辛いものが大好きで、子供の頃から父の仕事の関係からタイ料理をあたりまえのように食べていたので、スペインに来てしばらくすると狂おしいほどに辛いものが食べたくて、食べたくて仕方なかった。でも、その頃のスペインには私が辛いと思えるものが見当たらなかった

せいぜい中華レストランに行って「辛いソースを下さい」と頼んでトウバンジャンを貰うくらいだった。それも3度に1度くらいで、後の2度は「ない」と断られるのが落ちだった。今ではスペイン人でも、すしを食べるときには「別にわさびをいっぱい」と頼む人も多い。本屋に行っても日本をはじめアジア料理の本もがたくさんならんでいる。

食べ物の健康志向と同時に「アーユルベーダ」や、「気功」「指圧」「鍼灸」等、東洋の健康法やそれに基づく生活一般の本もたくさんある。私はスペイン語の本や読めないので息子がもう少し大きくなったら読んで翻訳してもらおうかと密かに考えている。

それに今では、通りの中に一つや2つはスポーツジムができ、朝から晩までトレーニングに励む若者を見ることができる。私の住んでいる通りにも昨年、一軒できてとても繁盛している。でもそのジムの前を通りかかったとき、息子の言った一言は痛烈だった。

「ママ、みんなうちのハムスターみたいだね」確かにマシーンで運動している姿は、一生懸命車を回しているハムスターにそっくりだ。

「クイック・マッサージ」や「指圧」の看板を掲げた店もよく見かけるようになった。これもまだ試していないので、近日中には行ってみたいと思っている。

そのうちスペインも禁煙があたりまえになり、歩きながら一服なんて事はできなくなるのだろうか。そういえば、昔は街角でタバコをばら売りしていたものだ。うちは夫がタバコを吸わないので、まだ恥じらいのあった私はたまに街角でタバコを一本買って、一服したものだ。今はそんなものはどこを見ても売っていない。禁煙席をもうけたチェーン店のレストランもあるし、この前書いた「スター・バックス」はもちろん全席禁煙だ。

それから、黒い皮のジャンバーにGパン、白い木綿の靴下に革靴の若者も見なくなった。日本ほどではないが、以前より、とてもお洒落になったのだ。

髪の色だってなぜか金髪ばかりが目に付く。以前は金髪なんて珍しかったのに・・。だいたいスペイン人のもとの髪は黒が多く、美男・美女の象徴は「黒い髪に黒い瞳」だった。もちろん日本では茶髪があたりまえのようだが。
この十数年の間に、スペイン人はポケモンじゃ無いけど「進化」してスマートで金髪の外人になったのかしら。そう、確かにこのEU統合でスペイン人はヨーロッパ人になったんだっけ・・。