日本趣味

 一昔も二昔も前、「ディスカバー・ジャパン」とか「ジャパネスク」と言う言葉が流行ったような気がする。実は現在の私はその状態・・言ってみれば私のマイブームは「日本趣味」ということになるだろうか。

事の始まりは「着物を着る」ということだった。
半年程前、ひょんな事からどうしても着物を着なくてはならない事になり、私は大いにあせった。今までの人生で着物を着たのは3歳の七五三(覚えてないけど)、なぜか16歳のときに写真館で写真を撮ったとき、二十歳の時のお正月、後はかぞえるほど・・しかなかったのだ。

私の母は、嫁に来る時は、桐のたんすに着物を用意するのが当然・・と言う年代だ。
だから、もちろん着物を着るのは当たり前で、お正月を始め、私や弟の学校行事にはよく着物を着て参加していた。私のほうは、小さい頃からお姫様なら、かぐや姫よりシンデレラ、結婚式は内掛けよりドレスに心惹かれていたので、母が何かの折に「着物を着たら」というのがうっとうしくて仕方なかった。

今回もそうだが、以前も海外に住む事になったときに
「着付けを習いに言ったら・・」としつこく言われた。
それなのに、私はそんな忠告はいっさい無視して「着物なんてどうせ着ない。着付けだってできないし、習っている暇もお金も無い」といばって切り捨てていたのだ。

スペインに来て何回か「着物を着ないの?似合いそうなのに」と日本人の方々にお世辞をいわれたことはあった。スペイン人にも「キモノを着て見せてよ」と何回か言われていた。

私はそのたびに「そうだよなー。今はスペインもアジアブームだし、私自身、いくら化粧しても顔の造りは平面的だし、このぼてっとした一重まぶたや厚い唇はかくせないよなー。その上、歳もとっておばさんが板についてきたし・・」と思いつつ、「そうですねー。今は持っていないので、そのうち日本から持ってきます」なんて逃げていたのだが、心のどっかに引っかかってはいた。

今回は「着物はここに揃えてあります。着付けも1週間は教えてあげましょう」と言うので、つい「はい、よろしくお願いします」と答えてしまった。
だが、着付けの基本も何も無い私はとても恥ずかしかった。
「あら、こんなことも知らないの」と言われそうだったからだ。
着付けを教えてくださった方はとても優しくて、着付けの本のコピーまで下さった。それから、帯もつけ帯だったこともあり、1週間でなんとか着られるようになった。

そうすると、なぜか私の中の「日本趣味」が、ふつふつと湧き上がってきた。
着物を着る事以外にも、試行錯誤して和菓子を作ったり、好んで時代小説を読むようになった。
そうしてみるとなかなか楽しく、もともと日本趣味のある息子と二人、借りてきた時代劇のビデオを、座布団代わりのクッションに正座して見たりしている。

年長の友達からは「やっと日本文化に行き着いたんだね」なんてからかわれたりもした。
私の世代は、身近な外国と言えばアメリカだった。音楽もファッションも食べ物も
「かっこいい」と思っていたものは、みんなアメリカから来たような気がする。
それと同時に、私は日本のものは「かっこ悪い」と思っていたのかもしれない。
ただ、私はなぜかアメリカと接点がなくて、まだ一度も行った事もないし、いつのまにかヨーロッパ、それもラテンの国に惹かれるようになり、いつしか私の中の外国の範疇からアメリカは外れてしまったが。

それがスペインという外国で生活していて、日本のものが簡単に手に入らなかったり、探さないと目に付かない事を認識しだすと、急に気になってきた。
つい最近のことだ。

仕事先にスペイン人の若い女性が来た。彼女は着ているものもファッショナブルで背も高い美人だったが、金髪をゆるくアップにしていた。そして日本のかんざしのようなものを何本も頭に挿していたのだ。
よく見ると、かんざしと思ったものは「お箸」だった。それも箸の柄としたら、きんきらしていて「ちょっと下品」という趣味だった。

ついつい彼女の頭から目が逸らせない私を尻目に、
「あなたのその背中についているリックには、何が入っているの?それから、袖についている袋にも何か入っているのかしら?」と彼女は上品に聞いた。
そうです。背中のリックとはお太鼓にしていた帯、袋は着物の袖のことです。
私は笑いをこらえて、帯のことなどを簡単に説明したが、後で大笑いしました。

私の日本趣味は、まだまだ続きそうです。