ひのき舞台ものぐさつづり帖 その8

4度目の舞台
先日、4度目の舞台が終わった。
今年は、「賀茂」という雷の神様の曲を舞った。
舞台経験も3年目になり、だいぶ慣れたことに加えて、今回は、「こんな風に舞いたい」
という欲があまりなかったので、緊張も少なかった。なにより、
「先生方の力が、私という媒体を通して、会場に流れて一つに混ざり合えばいいなー」
という気分を終始持っていられたのは良かった。

また、今回は、他のお弟子さんたちがいろいろな形で楽しみながら舞台に立っておられる姿をじっくり味わえたのもよかった。
中でも、感動したのは、初めて舞囃子に挑戦された方が、先生の日頃の教えを噛み締めるように、一つ一つ本当に丁寧に、ひたむきに舞っている姿だった。

「私は一度だって、あれほど丁寧に、教えていただいたことだけを無心に見つめて舞ったことがあっただろうか。あれほど、先生の教えを大切にしたことがあっただろうか」
と、大反省だった。
彼女の舞い姿は、技術に長けた大先輩方の舞台よりも、私には美しく感じられた。

そんなこんなで、舞台の後は、すっかり考え込んでしまった。
「私は、あんなに丁寧に先生の教えを大切にするようには舞えないし、かといって、先輩方のように、「お能をやってて、楽しい!」って、のめり込めるわけでもないし・・・。
何のために、舞っているんだろう」
という疑問がふつふつと沸いてきた。

思い起こせば、3年目の浮気じゃないけれど、いつも、3年は私にとって節目だ。フラメンコも、3年目を過ぎたあたりから、「何のために、踊ってるのかなー」と考え初めて、距離を置くようになったし、仕事も2−3年おきに節目節目を迎えていた。

 「面白い。楽しい。無我夢中」の時期が終わった今、自分の中では、「祈ること」と結びつける以外、心を舞にとどめておく方法が思いつかない。
 なので、先生には思い切って、
「神楽をやらせてください。今は、祈ることと結び付けて舞うことしかできないから」
とお願いしてみた。

 でも、神楽は特殊な曲なので、「神舞を習った後でないと難しい」とのこと。それで、無理を言って、「まず、神舞を教えていただいて、そのあと神楽を」と拝み倒した。

 先生は「熱心でいいことですね」とおっしゃってくださったけれど・・・。
 そんな前向きな理由じゃないだけに、
「いや・・・そうじゃなくて、そうでもしないと舞えないだけ・・・なんだよね」
 と申し訳ない気分。

でもまあ、「神様の舞」に取り組んで、祈りながら考える中で、「今後の自分の生活、お稽古、仕事」について、しばらく模索してみようと思う今日この頃。

お似合い
先日,来年のお能の会で、「賀茂」という曲をやることになった。
時間があって,お許しが出れば,「神楽」をやりたかったのだが,練習時間もあまりないし・・・。かといって,やりたいことはほとんどやってしまったので,何をしようか迷っていた。

で、たまたま,次にお仕舞で「賀茂」を習うことになっていたので、
「賀茂の舞囃子にします」
と、あっさり何も考えずに決めた。

実は、この時点では「賀茂」がどんな曲なのか、全然知らなかった。でも、舞囃子をすることに決まって、本を読んでみてびっくり!
 前半が里の女(実は賀茂神社の母神様の化身)で、後半が雷神(賀茂神社の父神様)らしい。

「まー、前半、しおらしい女だったのが、後半荒々しい雷神になるなんて!
ライオンがうさぎの皮をかぶっているような性格だといわれている私には、ぴったりの曲だわ―!」
 なんて、すっかり嬉しくなった。

 ところで、話は変わる。
 
 昨日、高松に出張に言った先で出会った方が、趣味で謡を習っておられた。で、よくよく聞いてみたら、なんと、うちの師匠の叔父さんのS先生に習っていたそうだ。
 しかも、その関係で、うちのT先生にも習ったことがあるそうだ!

 さらに、さらに、その方から、
「T先生に、習ってらっしゃるなら、Oさんって、お弟子さん、ご存知かな?」
 ときかれて、またまたびっくり!
「えー!!実は、昨日、Oさんにお会いしました!!」

うーん、こんなこともあるのね。
いやー、世間は狭い! 
合宿にいかが?

出張先で、能楽堂つきの宿泊施設を見つけました。
お能の合宿などに便利かも。
興味のある方は、独り言の方を覗いてみてくださいね。
七転び八起き

野外舞台の薪能で、「演者が舞台から落ちる」というハプニングに遭遇した。

すべりの悪そうな床、舞台の大きさも普段とは違う、ちょうちんの紐やらなんやら、余計なものが舞台の上にある・・・といった、とても舞い難くそうな舞台で、高さも軽く1メートル以上あったと思う。

しかも、演者は長袴に大きな赤頭をつけてたから、相当大変だったろう。
落ち方はとてもきれいだったのだけれど、さすがに、面をかけて落ちると、高さの感覚もないから、捻挫か骨にヒビの一つも入っているかもしれない。後見が助けにきたときには、足を引きずりながら、舞台に戻っていかれた。

でも、さすがはプロ。舞台に上がると、何事もなかったように、拍子を踏み、飛び跳ね、見事に舞台を貫徹された。


舞台が終わったときには、場内は本当に、「あっぱれ」と惜しみない拍手を送っていた。


舞台というのは、何事もないのが一番いいのかもしれないが、何かハプニングが起こった後は、それに対して、どう対処するかがとても大事だ。

ハプニングにもめげずに、物の見事に対処できる強靭な精神力を見せられたとき、人は、美しい舞台以上に感動するものかもしれないなーと思った。


しかし、私も職業病か、演者が落ちたとき、思わず、大声で、「あっ!!」と叫んで、
「こういう時って、助けに行くべきか否か」 と、考えてしまった。

「頭とか、打って気絶してたら、やっぱり、医者としてはほっとけない。でも、とりあえず、立ってるみたいだから、歩ければ大丈夫かな」

とすっかり気持ちは医者に戻っていたので、演者が歩き出したときには、本当にホッとした。