ひのき舞台ものぐさつづり帖
その2

コピー
「ねえねえ、ホームページ、リニューアルして、
「子うさぎ達の雑談部屋」を作ったから、なにか面白いネタ投稿してよ!」
と、みんなに言いまくったら、Wさんが、
「するする! 青山墓地でのお能談義なんかいいかもね。
でもさあ、その前に、T先生にこのページのコピーをあげようよ! 
絶対、面白がってくれるからさあ!」
と、言い出した。
「そ、そんな恐れ多い、恥ずかしいことは、やめてぇ!」
 と、思わず叫んでしまった案外シャイな私です。

なぜ、うさぎ?
「なぜ、非公式ファンクラブの名前を「うさぎの会」にしたのか、
理由をちゃんと書かなきゃだめですよ」
、と織田に言われたので、解説。

まず第一の理由は、T先生がうさぎ年だから。さらに、
「ファンである私たちは、子うさぎのようにかわいい
(ほんとかー!?)ということで、子うさぎにしよう!」
と言い出した人がいたので、我々は「子うさぎ」になったというわけ。
ついでにいうと、クラスにうさぎ年の人が何人かいた
っていうのも理由の一つでした。

追っかけ
T先生の周りには、相当熱心なファンがいっぱいいるらしい。
「らしい」というのは、私は、この業界に首を突っ込み始めた
ばかりで、まだ実態がよくわかってないからだ。

そんな熱心な人々の足元には及ばないが、私も、
最近「追っかけ入門生(?)」になりつつある?! 
……というのも、先日、6月に沼津で行われるお能の話を、
T先生が身振り手振り付で解説してくださるのを聞いたら、
どうしても見にいきたくなってしまったのだ。
でも、その日の予定は手帳を見ると、横浜の病院勤務の印が……。

「お能を見に行きたいから、勤務交代してください!!!
……なんて、言い出す医者がいたら、昔の私だったら、
超軽蔑してたよな―」
と思えば思うほど、なかなか勤務交代を切り出せない。
でも、結局、誘惑に負けて、横浜の先生と婦長さんを
「お願いっ!」と拝み倒したら、婦長さんにけらけら笑いながら
言われてしまった。

「先生とは、7年近い付き合いになるけど、そんなことを
言い出すのは初めてみた!なかなか、人間くさくていいですよ!」。
理解のある婦長と先生で良かった!

ちなみに、私の友人たちも、この話には目を丸くしていた。
「うそー! マジで、沼津までいくの? 
しかも、仕事代わってもらって? どーしちゃったの? 
そんな純ちゃん、今まで見たことがない!」
いや、本人が一番驚いてます。
そりゃあ、ここ数年、カルチャーセンター通いで遊びまくってたけど、
仕事の予定を変更したことまではなかった……。
私にとっては、ちょっとした、一大決心の出来事だったのでした。
 なんか、ミーハーな高校生になった気分!

脚本
お能の舞台を見ていて、ふと、
「能楽師って、大変な仕事だなあ」と思った。
何が大変って、観客は、「脚本」や、「舞の振り付けの本」を
片手に携えて舞台を見ているわけだから!
セリフをとちれば、すぐわかるし、舞も、間違ったことをすれば
すぐばれる。特に、自分がすでに習ったことのある曲だったりすると、
素人に毛が生えた程度の私たちにでも、いろいろなことが見えてくる。

「ここは、もうちょっと粘りが欲しい。この面の切り方はねえ……」
なんて、自分ではできもしないくせに、批評だけは簡単にしてしまう。
だから、能楽師っていうのは、気の抜けない仕事だよなあ、
なんて、しみじみ思う。

でも、反面、ほんとに何気ない、ありふれた動きをしただけなのに、
深い情景までが感じられる舞を見たときには、
「どうしたら、あれだけの動きの中に、これだけの情感が込められるの?」
と、本当に感動してしまう。
そんな舞いが、いつか舞えたらいいのにね。

静御前
昔から、「静御前」という人物に、ちょっと興味があった。
なので、課題曲で「静御前」の役をもらったときは、
とても嬉しかった。
思わず、「静御前」が出てくるマンガ、「天よりも星よりも
(作、赤石路代)」なんて、読み返して、役柄の研究を始めてしまった。

ところで、今回、「静御前」を舞ってみて、
「白拍子って、いい仕事だなあ。
その時々の相手の気持ちを汲んで、舞と歌を見せることで、
人を励ましたり、慰めたりできるなんて、なんてやりがいのある
仕事なんだろう。きっと、静は、この仕事を誇りにしていたんだろうなあ」
なんて、つくづく思った。

でも、義経との別れに際して、人々の前で舞わなきゃいけなかったときは、
「白拍子ではなく、一人の女だったら、一人の女性として、
ただ泣き崩れているだけでいられたのに……」
なーんて、思ったのかなあ……。

ところで、「船弁慶」の「静御前」という役は、
解釈の仕方にもよるのかもしれないけれど、
私には謡のついている部分の舞は、とってもオフィシャルで
堅いイメージに感じられた。
私が静だったら、言葉なく、ただ踊っているとき(中の舞の部分)
の方が、本当の自分の素直な気持ちを義経に伝えられるような気がする。
……そんなことを思いながら、「静御前」を舞えたらいいなあ!

女性雑誌
先日、T先生の代教で、時々お見えになられるO先生を、
とある女性雑誌で発見! 
読者がハマる趣味みたいなコーナーで、34歳くらいの女性が、
「お能を習ってます」というので、紹介されていた。

そういえば、最近若い女性が、ちょこちょこ入門してくる。
結構、メジャーな趣味になりつつあるのかしら?

隅田川
「隅田川」という曲には、特別の思い入れがある。
この曲は、お能では上級者にならないと習えない曲だけれど、
死ぬ前までには、どうしても1回は舞ってみたい。
なぜなら、「隅田川」=「人生のリベンジ」という感情が
私の中に残っているからだ。

どうしてこんなにも、「隅田川」という曲にこだわっているか
というと、原因は高校時代にさかのぼる。
私が高校時代、演劇の大会に出場したとき、優勝校の出し物が
「隅田川」だったのだ。
ストーリーは、「お能の隅田川にまつわる話を調べる高校生達」
の話だったが、現代の話の中にお能の幻想的なシーンを
加えてあり、とても高校生が作り上げたとは思えないくらい
レベルの高い感動的な芝居だった。
20年以上もたつ今でも、私は、芝居の中のいくつかのシーンを
ありありと思い出すことができるし、悔しいかな、挿入歌が
いまだに私の耳に焼き付いていて、時々木霊のように聞こえてくる。

もっと、衝撃的だったのは、この舞台のもとになった脚本を
読んだ時だった。完成された舞台に比べたら、
なんの変哲も感動もない脚本だった。
「あの脚本から、どうやったら、あんな素晴らしい舞台ができたのか?
なぜ、私達には、あのような舞台を作り上げる力がなかったのか?」
「隅田川」の舞台は、大きな感動とともに、ぬぐいきれない完全なる
強い敗北感を私の心に植え付けた。

そして、そんなこともすっかり忘れつつあった数年前、
私は、「敗北感に対して、納得のいく答え」を偶然見つけることができた。
「隅田川」を上演した京華女子高校の演劇部を
長年指導してきた先生が、NHKの番組で紹介されていたのだ。

番組で紹介されていた先生の指導振りに触れた時、
私は体の震えが止まらなかった。
「ああ、こんな素晴らしい指導を受けていたのか!
私がまさに、高校時代に、受けたくても受けられなかった
指導じゃないか!」

番組のそこここの中に、高校時代、私が先生や大人達から、
教えてもらいたかったたくさんのことがあるのが見えた。
と同時に、「大人達は、受験勉強を教えることに精一杯で、
どうして、こういう大切なことを、私たちに教えてくれようと
しなかったのだろう」
と、恨み言の一つもいいたい気分になった。

あれから数年の時が流れたつい最近、友人に誘われて、
T先生の個人稽古に通い始めたある日のこと。
先生がお弟子さんにつけている稽古を聞いていて、
「あっ!」と思ったのだ。

「ああ、私が高校時代から、求めてやまなかった「指導」が、ここにあった!!」
それを発見したときは、どんなに嬉しかったかしれない。
高校時代、「隅田川」の舞台の衝撃の強さゆえに、
感情のままに自ら壊してしまった「私の大切な時計」が
ゆっくり、ゆっくり、また時を刻み始めたように感じられた。

高校時代に自ら止めてしまった「時間」を遅れ馳せながら取り戻し、
「ああ、私の人生は、これでよかった!」と死ぬ前に思うためにも、
「隅田川」だけは生きているうちに舞ってみたいものだ。