ひまわり先生のひとりごと

2005年8月


2005年8月29日
最近、つくづく、「周りの人や環境に依存したり、執着したり、左右されたりせずに、心の中に特上の「幸福感」を育て続けるのは、とっても難しいことだなあ」と思う。

例えば、ラーメン好きの人にとって,昔ながらのおいしいラーメン屋さんがやむなく閉店してしまった時は、「幸福感」が揺らぐ最大のピンチに違いない。

 「なんとか、続ける手段はないんですか?なんとしても続けてください!」

 と、懇願する人がいるかもしれないし,
 「そうか…おいしかったのに、残念だなー。時代の移り変わりの流れを感じるなー」
 と、あっさりあきらめて、他のラーメン屋の常連になる人もいるかもしれない。あるいは,
 「閉店なんて、ひどいじゃないか!」
 と、文句を言いまくる人もいるかもしれない。

さらに、こうした人々が何年か後、どんな風に過ごしているのかも、興味深い。
 似たようなラーメンを食べるたびに、
「昔、あったOO軒というラーメン屋、おいしかったなー」
と、幸せな記憶を蘇えらせる人もいれば,
「もう、二度と同じようなラーメンは食べられないんだ」
と嘆いてばかりいる人もいるかもしれない。
 あるいは、どうしても、ラーメンの味が忘れられなくて、同じ味を作り出して、ラーメン屋になる人もいるかも?
 
たぶん、「OO軒のラーメンがなければ,幸せになれない!」とか、「OO軒の主人じゃなきゃ,このラーメンは作れない」とか、「幸せは「ラーメン」あるいは「OO軒のご主人」が作ってくれるものだ」と、勘違いしてしまうと、不幸になりがちだ。

同じ様に,人というのは,「お金や財産がたくさんある」「地位がある」「健康がある」「やりがいのある仕事がある」「愛してくれる人がいる」「自分に都合のいいように支えてくれる家族がいる」といった、
「形が整っていること」
が、「幸せを生み出す源」だと勘違いしていることが多い。
 そして、「OOがなければ,幸せになれない!」と思い込んでしまうことで、幸せになり損ねてしまう。

本当は、「幸せ」というのは、その人自身の「感覚」とか「感情」でしかない。「ラーメン、お金,財産,健康、仕事,恋人、家族」は、ただ単に「幸せ」という感情を引き出す誘因になっただけだ。

つまり、理屈からいえば,誘因がなくても,

「あのときのすっごい幸福感を再体験する!」
 と決めて,自分の心の中に「幸せ」という感情を湧き起こす練習さえすれば,いつでも,手軽に「幸せ」になれる…というわけだ。どうやるかといえば,何度も何度も,「幸せを体験したときの過去の感情」を思い出せばいい。

「えー、そんなのむずかしい!」
と思う人もいるかもしれない。

でも,多くの人は,「すごく嫌な思いをしたときのこと」は、知らず知らずのうちに何度も無意識に心の中で反芻している。だから、同じ様に、今度は「幸せな体験」を意識的に繰り返し心の中で反芻すればいい。

ちなみに、落ち込みやすい人ほど,「不幸な体験」は何度も心の中で反芻するけれど,「幸せな体験」ほど、一回味わったら終わりにしてしまう。あるいは、「幸せな体験」を与えてくれたのは、そのとき周りにあった「人」や「物」や「環境」だと思い込んで,
「もう一回,同じ様な幸せを与えて!」
と、「自分以外のもの」に依存,執着することに夢中になってしまう。

確かに,自分の心を訓練して,ゆるぎない幸福感を常に維持できるようになるより,「幸せを引き起こしてくれるもの」に頼った方が,ずっと楽に感じる。
 それに、周りに頼れば,幸せになれなかったときに,「周りが私の思い通りにならなかったから」と、周りのせいにすることもできるし・・・。

でも、素敵なこと、素敵なもの、素敵な人に出会って打ち震えるくらい感動した時に、
「わー、私の中に、こんな形で感動できる心が眠っていたんだ!
よし!この感動、この感覚を自分の中で大切に育てよう!何度も再現してみよう」
 と、周りの存在に頼らず、自分の中で「幸せの感情」を育てていくことに専念できたら、人生のややこしいことの半分はなくなるだろう。

世の中の多くの人が俳優さんにでもなったような気分で、
 「心の底から最高に幸せな人の役を与えられたつもり」
になって、自分自身の過去の幸せの感覚を何度も繰り返し、反芻する練習をしたら、毎日幸せに過ごせるかもね。

2005年8月22日
先日,映画の「マザー・テレサ」を見てきた。オリビア・ハッセーの演技は素晴らしかった。姿格好はもとより,心持も,マザー・テレサになりきっていた。今後,あの人以上に,マザーの役を演じられる人は,そうそういないかもしれない。

 2時間の映画のシーン,一つ一つにたくさんのメッセージが感じられて,メモを片手に見たいくらい,感じるところがあった。
 どんなに凄まじい弾圧や非難にあっても,そうしたものと戦うのではなく,力強く無視して,自分が思う「神の道」を貫き通し、素晴らしい結果を出すことで,周りの人たちを納得させる・・・。その信念の力強さは,圧巻だ。
 信仰の原点というのは,まさにああいうことを言うのだろうなあと思った。

ところで、映画を見終わった後,
 「あんな風には強くなれないなー」
と、つぶやいている自分に気がついて,ハッとした。

立派な人を見ると,ついつい私たちは,
「すごいなー。でも,私には無理」
と、簡単に言ってしまう。でも,「無理」といった瞬間に,できることもできなくなることが多いものだ。
私は周りの人たちを見ていて,
「ああこの人,とても才能があるのに,「私には才能なんてない」と、自分を卑下することで,せっかくの才能を開き損ねているなー」
と思うことが多々ある。

相手の中にあるものを感じ取れるなら,感じ取れた分だけ,自分も似たようなことができる可能性がある。自分の可能性を開くのは,自分次第だ。
「すごいなー。私には無理」
と,言いたくなったときに,もう一回,自分に問い直してみたいものだ。

本当の気持ちはどっち?
「すごいなあとは思うけど,私の歩きたい道ではない」
「すごくうらやましい。できることなら,私も同じ様な道を歩きたい」

・・・ということで,後ろ向きの発言を反省し、もう一回言い直した。

「私は,あそこまで強い人間になろうとは思わない。弱いからこそ,感じ取れたり、表現したりできることもあるから。
 でも、彼女を見習って,もう少しだけ、周りに振り回されずに,自分の道をまっすぐ歩いていける強さを身につけたいな」

2005年8月15日
プラネタリウム

先日、久々にプラネタリウムに行ってきた。
きれいな星空を見て、星座の解説を聞きたいなあと思ったからだ。

しかし、今時のプラネタリウムっていうのは、あんなにやかましいものだとは思わなかった。バックミュージックも解説も大音量で、
「これって、星空をテーマにした映画館?」
という感じだった。そのせいか、場内でいびきを掻いて寝ちゃっている人なんて、一人もいない。

 きっと、今の時代、ゆったり、くつろぎ系のプラネタリウムでは、人がそこそこしか集まらないのかもしれないけれど、ちょっと寂しいものを感じた。

 でも、久々に星の話を聞いて、何億光年も昔の光が、今という時代に輝いていることの不思議をあらためて感じた。
 星の光が、何億光年も先の私たちの心に小さな灯火をともしてくれているように、私たちの命が生きているということも、光とは別の形で残って、もしかしたら、それが何億年も未来の人たちに影響を与えることがあるかもしれない…なんて想像したら、ちょっと楽しい。

 人はよく、「私たち一人が生きていて、何かしていることなんて、たいしたことではない」
と思いがちだけれど、案外、私たちが生きた足跡が、何億年後の人にかすかな影響を与えることもあるのかもしれない。
 だったら、何億年後の人たちに対しても、今の自分の周りの人たちに対しても、そして、自分自身に対しても、愛情いっぱいの生き方ができたらいいなあと思う。

…と思った矢先に、
 「あ゛―、また散らかってるっ!ちょっとー、誰がこれを片付けると思ってるのよっ!」
 などと文句が出てしまう…。なんて、実行力のない私…。
 
 ま、いいか。
 来年には、今年より、優しい私になっていればいいってことで、よいことにしようっと。


        *********

ひまわり移転にあたって

9月末をもって,文京区でのひまわりの診療を終了致します。
品川区での診療再開は11月1日からの予定です。
しばらくの間,ご不自由をおかけしますが,ご協力お願い申し上げます。


 なお、移転に伴い,診療体制の一部を変更いたします。
これまで,少しでもお気軽に相談していただけるように・・・と、赤字は講演会、出張等で埋め合わせ、私自身は無給で診療にあたってまいりました。
しかし,8年目にあたり,この体制でやっていくのは難しくなりました。そのため、経費削減目的で,今回、移転の運びとなりました。


なるべく、今後も,細く長く診療を続け、できるだけ多くの皆様にお気軽にご相談いただけるようにと考えております。そのため、基本診療費は据え置きますが,その他の診療体制の一部を変更予定です。

詳しくは,11月に、リニューアルしたホームページにアップいたします。
なにとぞ,よろしくお願い申し上げます。


2005年8月1日
先日,とてもいい旅立ちの瞬間に立ち会うことができた。
 
 70歳過ぎの男性で,ガンの治療を途中で止めた方だった。
 亡くなられる直前,奥さんが,
「お父さんときたら,頑固で,わがままで,本当に好き放題やってきたから,私もいろいろ苦労したけど,でも,お父さんにとっては,本当にいい人生だったわよね。
 お父さん,幸せだったわねー」
といったら,満面の笑みを浮かべて,にっこり笑い,
「うん」と頷いたのだ。
それが本当に,最後の最後の一呼吸になられた。
こんな楽しそうな笑顔は,長年診療をしてる私でも,初めて見るものだった。

立派に雄々しく逝ったり,周りに感謝して逝く人生も素敵だけれど,こんな楽しそうに,「あー,ほんとに楽しい人生だった―!!」と,最後に満面の笑顔でこの世におさらばできる人生って,本当に素敵だと思う。

 病気にかかりながらも,こんな風に幸せに亡くなっていく人がいてくれると,その死に様を人に見せるだけで,周りの人たちに,とてつもなく大きな勇気を与えてくれるなあと思う。

 死に様だけでなく,「自分らしく楽しく生きている人」はその生き様を見せるだけでも,たくさんの勇気と希望をいろいろな人に与えることになるのだろう。
 
でも、「自分らしい楽しい人生を送る」・・・ということが、簡単なようで案外難しいのかもしれない。