週末、介護付高齢者住宅のケア指導の為に、京都に行ってきた。
そこで、長年京都に住んでおられる方から、東京についての感想をいろいろ伺った。
「芸術、音楽、催しなど、一流のものはすべて東京に集まってくるのでうらやましい」
「高層ビルがたくさんで、とても近代的な感じがする」
「言葉の調子がなんだか怒っているようで怖い」
などなど・・・。
話を聞いていて、
「そうかー、せっかくそんなにたくさんの文化が集まっているのに、それに触れるチャンスを逸していたなー。もう少し、文化に接してみようかな。
なるほど、京都の人の話し方のトーンは、やわらかくっていいかも。言葉はそのままでも、このトーンだけでも真似したら、人間の幅が広がって感じられるかも・・・」
など、あらためて考えさせられた。
そういえば、私も、大学時代、つくば学園都市に住んでいた時に、ときどき、東京に帰ってくると、
「わー、すごい!子供から、年寄りまで、いろいろな年齢の人が、たくさんいる!
私の住んでいる所って、すごく偏った人工的なところだったんだ。
いろいろな年代の人がいるって、すごいことなんだ」
と思ってびっくりしたものだ(学園都市は、教師と学生しかいなかったので)。
普段、当たり前のように過ごしていると、自分の住んでいる所がどんなところなのかわからないものだけれど、離れたところから、違う目で見ると、新たな気づきがある。
同じ様に、自分自身のことも、自分だけで過ごしていたら、よくわからない。人と出会って、いろいろな摩擦を感じたり、違いを感じたりする中で、
「ああ、自分ってこういう人間だったのだ」
と、知ることができる。
「人の意見を聞くと、すごく傷つけられたり、落ち込んだり、自分を責めてしまう」
という人がいるが、本来、「人の意見」というものは、「本当の自分を知るため」あるいは、「なりたい自分を作り上げていくため」にあるのだろう。
人の意見は鵜呑みにするのではなく、「一つの視点」として客観的に捉え、自分なりに消化した上で、自分の人生を作り上げていくために利用すると、きっと素敵な人生が広がっていくに違いない。
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