ひまわり先生のひとりごと

2004年3月


2004年3月29日
先週はかなりのハードスケジュールだった。

仕事が忙しかったことに、加えて、非常勤勤務先の老人保健施設では、話の弾みで、フラメンコとお仕舞を余興で披露する約束をしてしまった。ところが、お仕舞はともかくとして、フラメンコはここ3年ほど、サボりにサボりまくっていたせいで、踊れなくなっていることに直前になって気がついたから、さあ大変!!

老体(?!)に鞭打って、練習をはじめたものの、急には筋肉は動いてくれない。それでも、何とか無理して身体を動かすから、身体のあちこちから悲鳴があがってきた!この年になったら、安請け合いはしないことだと、大反省。

そんなこんなで、週末になったら、ついにダウン!
せっかくのお天気だというのに、日曜日は動く気力がまったくなく、夕方まで家で、ごろごろしている始末。

でも、おかげで、夕方には、普段の元気が戻ってきた。やっぱり、早めの徹底的なお手当てが大事ね。


でも、やはり、更にもう少し早めに休んでいたら、よかったのにと思う(でも、あとの祭りってやつ?)。だいたい、家が散らかり始め、洗濯物を取り込んでも、片付けるのが億劫になってきていた時点で、体からは、

 「そろそろ、休んで欲しいなー」

というサインが出ていたのに…。つぎは、
「ああ、片付けるのが面倒くさい」
と、思った時点で、早めに体に優しい生活をしよーっと!
なかなか、体との付き合い上手になる方法は、奥が深い!


2004年3月22日
スペインのテロ

スペインのテロ事件では、多くの方から、みやさんの安否を気遣っていただき、本当にありがとうございました。みやさんご自身からの事件報告、アップさせていただきました。
とても不幸な事件でしたが、反面、会ったことのない人々のために、安否を気遣える優しさを持った人たちがたくさんいることを嬉しく感じました。

また、スペイン国民が一日喪に服したという話を聞き、

「平和を願う人が増えることで、未来がいい方向に変わるといいな」
と思いました。日本でも、サリンの事件が起きたときに、このくらいの対応ができたらよかったと思います。

それでも、相変わらず、世界では嬉しくない事件が続いています。この時期に、うちの師匠の一団はロシアに遠征に行かれるそうで、弟子たちはみんなとても心配しています。

なんだか、このスペインのテロ事件があってはじめて、
「イラクに派遣された自衛隊員とその家族の気持ち」
が少しだけ、身に染みてわかったような気がします。

それでも、まだ、今の時代、「イラクに行く=即、死んでしまう」という公式ではない分、救いがあるのかもしれません。戦争が当たり前だった時代には、「戦に行く=かなりの確率で死ぬ」だったわけです。そう考えると、「今日が平和な生活の最後の日」という意識は今よりずっと強くて、「当たり前の静かな毎日」をずっとずっと、「ありがたい」と思えた時代だったのかなあ、とも思います。




暇な時間?

先日、非常勤病院の院長先生から、
 「仕事がなくて、暇なときって、何をしているの?」
 と聞かれた。この院長先生、とっても温厚な性格ながら、とても仕事のできる先生だ。優秀な院長先生の腕にかかると、今の病院の仕事はあっという間に片付いてしまうので、しっかり、週休2日が確保できるらしい。

ところが、今までバリバリの仕事人間として働いてきた院長先生は、朝から何もすることのない休日を持て余してしまうのだそう。だから、こういう質問が出てきたらしい。


 で、私が、
 「休みもいろいろやることはありますよ。私、一応、主婦ですから…。掃除、洗濯、食事の支度・・・」
 と応えたら、さらに院長先生は、ニコニコしながら食い下がってきた。
「でも、食事の支度も掃除も、一時間ずつくらいあれば、終わっちゃうでしょう?そうしたら、やっぱり、暇じゃない?」
「一つ一つのことに感謝しながら、掃除や食事の支度をしていると、時間は足りないくらいですよ。
例えば、きゅうり一本を考えてみてください。
 まっすぐなきゅうりを作るのって、とっても大変です。まっすぐなきゅうりを作る技術を開発した人は誰か?このきゅうりを作った人は、どんな仕事をしていたのか。きゅうり一本が育つまでに必要となった、時間、太陽の恵み、水、土・・・。
 そして、きゅうりが収穫され、スーパーの店頭に並ぶまでに、何人の手が必要だったか・・・。

 そう考えると、このまな板の上にのっている「きゅうり」さんは、ただの「きゅうり」ではなく、縁あって、私の家のまな板にのっている「きゅうり」さんなわけですよね。

 同じように、掃除をしていても、道を歩いていても、
「このタンスは、どんな縁があって、私の家にきたんだろう。
 この家は、誰の力でたったんだろう。
 この道は、誰がどうやって作ってくれたんだろう」
 と思うと、感謝することは尽きないですし・・・。
 そう考えると、忙しいじゃないですか」

 私が話し終えるまで、院長先生は真剣に話を聞いてくれて、こう返してくれた。
「うーん、すごいねー。そう考えると、命の息吹がそこここに感じられるってわけだね。それは豊かな人生だ」
 
 いまどきのお医者さんで、こういう話に最後まで耳を傾けられる日とって、とても珍しい。私は話を最後まで聞くことができて、そんな風に答えられる院長先生ご自身が豊かな人だと思った。
 
 でも、最近、医者の仕事にはいろいろな疑問を感じることがある。
その一つが、「たくさんの仕事をこなすことが、本当に優秀な医者なのかどうか」ということだ。
昔は、
「一日に、外来を200人診て、受け持ち患者を40人抱えているなんて、優秀な医者だ。医者はかくあるべき」
 と思っていた。

 でも、それだけの仕事をしている医者が疲れていないわけがない。あるいは、「俺は優秀だ」という思いだけで、仕事をこなしているかもしれない。
 この医者を受診した人たちは、病気を治してもらっても、かわりにその医者の「疲れ」とか、「俺が正しい。お前は間違っている」という思いを、知らないうちにもらってきてしまっているかもしれない・・・。だとしたら、それは、かえって不親切になるのではないだろうか。
 
 それよりも、一日10人しか診なくても、10人全員に、確実にいい診療が施せたとしたら・・・。もしかしたら、長い目でみたら、毎日おざなりに100人診る医者がいる地域より、丁寧に10人診る医者がいる地域の方が、病気にかかる人は少なくなったりするかもしれない。・・・なんてことをよく考える。

 許す時間の範囲内で、丁寧な仕事をしたいなあと思う今日この頃。

2004年3月15日
最近、妹と一緒に昼のドラマにハマっている。…といっても、仕事があるので、リアルタイムではなく、ビデオで拝見…だ。
 
ストーリーは、いわゆる一昔前にはやったようなドロドロの愛憎劇。あまりにも、クサイ話しすぎて、とっても笑える。
でも、20−30年前だったら、本気でハマって真剣に見てたかも・・・?
というのも、昔は、
「私一人が犠牲になればいいの…。私さえ我慢すれば、みんな幸せになるのよ。だから、私は幸せになれなくていいの…」
という類の主人公が出てくるドラマが大―――好きだったからだ。

でも、年をとって世の中の仕組みがわかった今、あらためて、こうしたドラマを客観的に見ると、「犠牲者役」って、とっても麗しい性格のようでいて、実は、「加害者役」と同じくらい問題を抱えているのがとてもよくわかる。
いや、親切で善人を装っている分、「加害者役」よりタチが悪いかも?!(笑)

…とかいいつつも、
 「いじめる方も、いじめられる方も、なんだか憎めない楽しいキャラクターなのよね」
と、ついつい毎日楽しく見ている。

ところで、人生も、ドラマのように少し遠くから突き放してみてみると、いろいろな発見があって面白い。人生ドラマには、いろいろな悪役や善人役がつきものだ。

私の場合、十年くらい前に出会った「悪役」さんには、今、感謝しても感謝しきれないほどの恩を感じている。

当時、私は「悪役」さんから、再起不能かと思われるくらい、深い心の傷を負わされた。しかも、その一番苦しい当時、私の周りには、助けの手を差し伸べてくれる人が全くいなかった。

「なぜ、私がこんな目に合わなければならないのか。本当に、この世に神や仏はあるものなのか」
と、神をののしりまくる毎日だった。

でも、今ならば、この出来事が、神様が私に下さった最高のプレゼントだったことが理解できる。

例えば、助けがなかったことは、私の依存癖を根っこから断ち切るためには、絶対に必要なことだった。

当時、「誰かに助けてもらわないと生きていけない」という気持ちで、助けを求めていたら、多分、私はいつまでたっても依存から脱出できなかっただろう。

でも、助けがなかったからこそ、他のことに心を奪われたり、逃避したり、依存したりすることなく、「まっすぐに自分の心と常に向き合いつづけること」ができた。
そして、一人でも生きていけると思えるようになった今、初めて、
「助けてもらわなくても、がんばれる。でも、助けてもらったほうが、自分も周りの人ももっと、幸せになれる」
という気持ちで、必要に応じて助けを求めることができるようになった。
これは、私にとって大きな財産だったと思う。

また、「悪役」さんの残していった心の荷物をすべて整理し終わった頃、私は自分の人生にとって、最大の重大事件に遭遇した。でも、そのときには、最高に適切な行動がとれた。実は、対処に必要な道具は、「悪役」さんがくれた荷物の中に全部入っていたからだ。

確かに、カウンセリングの見地から見たとき、「悪役」さんの行動は、「相手の心に大きな傷を残す、とても問題のある行動」だったと、今でも思う。でも、相手にとって、「心優しい親切な行動」だけが、その人の人生にとって、正解であるとは限らない。
今、振り返ってみると、「私の人生」という見地から見たとき、「悪役」さんの行動は大正解だったと確信している。

実は、「悪役」さんに初めて会った頃、
「もし、前世があったら、この人とはとても仲良しだったんだろうな」
と思ったことがある。
きっと、私は、生まれる前、気心の知れた大親友に、
「私の人生で一番の悪役を引き受けてくれない?」
 と、頼んだのかもしれないなーと、最近つくづく思う。

誰だって、悪役なんてやりたくない。でも、あえて、悪役を買って出て、相手に大切な課題を学ばせてくれる人って、とても貴重な存在かもしれない。

その後、「悪役」さんにはずっと会ってない。いつか、「悪役」さんに会ったら、心から御礼を言いたいものだ。
「ありがとう!あなたのおかげで、人生で最高の幸せをつかむことができました」と。

2004年3月8日
オウム関連の報道番組で林医師の供述を聞いていて、医者が陥りがちな問題点について、しみじみ考えさせられた。
 
「医者は、患者を救ってあげることが使命」
この考え方は、とっても立派だけれど、実はとても危険をはらんでいるような気がする。

「苦しみや障害は、その人の心を成長させるために存在する」と、私は思っている。
もしそうならば、「苦しみ」や「障害」を安易に取り除くことに専念してしまうと、その人自身が成長する機会を奪うことになってしまいかねない。

例えば、食べ物を得る方法を知らない人に、「魚や野菜をプレゼントすること」は、一見、とても親切に見える。
でも、こういう助け方をすると、そのうち、食べ物を得られない人は、
「この間は、こんなにいっぱい魚をくれたのに、今回はこれしかくれない。
それに、今日の野菜はとってもまずい。
もしかして、私を助ける気がなくなったから、こんな意地悪をするの?
見捨てられた私って、とっても不幸・・・」
と、思い始めることがある。

そして、そう言われた人は、
「もっとすごい魚をとって、もっと立派な野菜を作らないと、あの人を満足させてあげられない。
もしかして、りっぱな魚や野菜を提供できない自分は無能なのかもしれない。
あの人を幸せにできない自分は、ダメな人間かもしれない」
と、自分を追い詰めていくことになる。

実は、「他人の人生を救いたい」と強く願う人は、本当に救わなければならない「自分自身」と向き合うことを避けていることがある。
つまり、「魚や野菜をプレゼントした人」は、相手から、
「すばらしい魚や野菜をありがとう!あなたって、優しいのね」
と、相手から認められて、幸せになりたいために、相手を救おうとしていたのかもしれないのだ。

それに、最初は純粋に、「相手の幸せ」を考えていたはずなのに、気がつくと、どちらの人も、「相手」は見えなくなって、「魚」や「野菜」だけを必死に見るようになってしまう。
いつのまにか、「立派な魚や野菜が存在すること=幸せな人生」と思い込んでしまった結果だろう。これでは、お互い幸せにはなりにくい。

こうした場合、「本当の親切」は、「魚や野菜を得る方法を、相手の学習能力に合わせて、根気よく教えること」だ。
もしかすると、今まで「魚や野菜は誰かがプレゼントしてくれるもの」と思い込んでいる人からは、
「どうして、魚や野菜をくれないのよ!ケチ!」
と、文句の一つも出るかもしれない。
でも、「魚や野菜を得る方法」を一度教えれば、相手は最終的に、ちゃんと自力で生きられる力をつけることができる。
 
そして、「魚や野菜を得ることがいかに難しいか」を学ぶことで、たとえ貧しい食卓を囲んでも、
「今日生きるための食べ物が、目の前にある幸せ」
を感じられるかもしれない。

どんな場合にも、「ある人の人生」を救えるのは、その人自身だけだ。
でも、医療の現場では、知らず知らずのうちに、安易に患者さんが向き合うべき問題を、
「あなたの病気、私がすべて治してあげます」
と、医療者が肩代わりしすぎていることがあるかもしれない・・・と、最近よく思う。(自分自身への反省を含めて・・・)

その点、「遠くで離れて暮らしているために、なかなか看病にいけない家族」というのは、もしかすると、すごく幸せなのかもしれない。

「あれもこれも、助けてあげたい」と思っても、「遠く離れて住んでいる家族」は、「近くにいる医療者」に比べて、助けるすべを何も持たない。そうしたとき、家族ができるのことは、「ただ、日々の相手の幸せを祈ることだけ」だ。
 ただ、「相手の幸せを祈る」ことしかできない・・・。
 この状況は、「最悪の不幸」のように見えて、実は「最高に幸せなこと」かもしれないと、しみじみ思う。

たとえ話で言えば、
「離れて住んでいて、輸送手段もないから、魚も野菜も、母に届けてあげられない。私ができるのは、「今日、母が、幸せな食卓を囲んでいますように」と祈ることだけ」
 という状況だろう。
こうした時、家族は「魚」や「野菜」には目が行かず、100%「母」の幸せだけを祈ることになる。つまり、間違いなく、100%相手だけを見つめているのだ。

科学技術が発達して、限りなく豊かな物質生活、豊かな伝達システムが可能になった現代、手助けする手段は探せばありとあらゆるものがある。だからこそ、そんな中にあって、
「本当に純粋に、「相手の幸せ」を考え、一番必要なことだけを支える」
ということは、かえって難しくなったような気がする。

こんな時代の中で、もし、「ただ、相手の幸せを祈るしか方法がない」という状況に陥った人は、限りなく幸いだ。
その人は、迷うことなく、最大にして、最高のことを相手にしてあげられるのだから・・・。

ほんとに、「貧しいものは幸いである」のかもね。

2004年3月1日
先日、ごくごく近所で大火事があった。
火柱が上がって、3時間近く燃え続け、おばあさんが一人亡くなられた。
我が家の場所がほんのちょっと違ったら、こうして仕事もしていられなかったかもしれない。こういうことがあると、ちゃんと住む家があって、普通に仕事にいけることのありがたさを感じないではいられない。

ついでに、1月、2月は周りで訃報を聞くことが多かった。友人、知人の家族、ざっと数えただけでも、6−7人亡くなっている。ちなみに、私のところも叔父が亡くなった。ホスピスの患者さんも入れたら、軽く20−30人は身の周りで亡くなったんじゃないだろうか。
こういうことがあると、本当に、
「世の中、何一つとして、変わっていかないものはないのだ」
と、痛感させられる。

今という一瞬は、二度と帰ってこない。
なのに、一日の自分の生活を考えてみると、過去(その日に、起こったことを含めて)や未来のことを考えていて、「今」という瞬間を失っていることがなんと多いことだろうか。
おそらく、過去や未来を一瞬たりとも見ないで、「今」だけを見続けたら、苦しみのほとんどはなくなるに違いない。

ところで、「死」といえば、先週、麻原被告に「死刑」が出た。
世間では、「当然の判決。やれやれ、これで、少しは平和になる」と思っている人も少ないないようだけれど・・・。その一言だけで、勧善懲悪の公式にのっとって、簡単に片付けて欲しくないものだなあと思う。

カウンセリングを商売にしている者から見れば、「殺人を犯した人」は、社会から「心を殺されて生きてきた人」だ、と言える。そういう意味では、麻原被告も社会の被害者だ。

つまり、オウムの事件は、カウンセリング的見地からみれば、
「たった一人の人間の心を社会が見殺しにすると、何千人もの犠牲が出てしまうことがあるよ」
という警告のようにも見える。

でも、相変わらず、世の中では知らず知らずのうちに、社会に心を殺されている人がなんと多いことか・・・。
登校拒否、出社拒否、引きこもりなどは、「心が殺されているよー」というSOSのサインであることが多い。

「心が育った人」は、「頭がいい人」「立派なよい人」とは別だ。本当に心が育った人は、自分も他人も変えることなく、ありのままに受け入れ、「愛情深く、ただそこに存在している」だけなのだと思う。
今の世の中、学校で一番になるより、心が育った人になるほうがずっとずっと難しい。
でも、「生きるために、本当はその方がずっと大切なことなんだよ」と、悲しい事件は教えてくれているのかもしれない。

再び、事件を繰り返すことなく、今回のたくさんの尊い犠牲を無駄にしないためにも、「人の心を殺さない社会作り、心を育てる教育」が大切だ。

日本中の人が、一日一個、優しさの種を撒けたら、一日に1億個以上の優しさが日本中に溢れることになる。

♪一人の小さな手、何もできないけど、それでもみんなの手と手を合わせれば、何かできる。何かできる♪
という歌ではないけれど、一人一人が小さな努力をすることで、世の中がかわっていくことってあると思う。

憎しみは、さらなる憎しみと暴力を生むだけだ。
辛いけれど、憎しみを捨てる大きな勇気を持ち、悲しい出来事は「教訓」に変えて、未来の私たちや子供たちのために、幸せの種を撒く機会に変えていきたいものだ。それが、犠牲になった人たちへの何よりの手向けになるように思う。