ひまわり先生のひとりごと

2003年6月


2003年6月26日
お能の発表会が終わったら、気が抜けてしまったのか、ここ数日、とっても寂しい気分になっていた。

丁度、「慣れ親しんだ場所から引越しをする」とか、「卒業式の後」といった気分だった。新しいサイクルが始まれば、寂しいなんて言っていられないくらい忙しくなるのはわかっているのだから、こうした節目の時期に寂しさを感じられることも、実は、幸せの一つなのかもしれない。
とはいえ、寂しいとか、辛いとかいう感覚は、やはり気持ちのいいものではない。

ついでに、もともとプラス志向は得意ではない私は、寂しくなりだすと、結構あれこれ考えてしまったりする。

「この寂しさの「微妙な感覚」のすべてを完璧に100%理解してくれる人っていうのは、自分以外にはいないんだろうなー。寂しいもんだなー。

理解されないといえば、私は患者さんたちに相当な愛情を注いでいるつもりだけど、注がれている相手の方は、私がどのくらいその人に愛情をかけているかを、やっぱり100%理解できないんだろうなー。
まあ、仕方ないかー。その人が持っている物差しでしか、世の中のことは見ることができないんだし・・・。私だって、自分が物差しを持ってない分野については、理解できないんだから・・・。

だからこそ、自分が、自分の一番のよき理解者でいなくちゃならないわけだ・・・。でも、やっぱり、どこかで、「100%理解してくれる人が欲しいなー」と思ったりもするよなー」

とか、うだうだ考え始めてしまう。

ようは、「100%理解されたい」という大それた「欲望」が、自分自身を苦しめているわけだ。欲があると、幸せからは、どうしても縁遠くなる。「欲」を捨てて、今あるものを喜べば、楽になるのはわかっていても、マイナス志向が始まると抜け出すのは、結構難しかったりするもんだ。
そして、えんえん悪いことを考え続けると、ドツボにはまってしまうことになる・・・。

でも、最近は、こういう状況から脱出するのも随分うまくなった。
私の場合、こんなときは、
「うん!でも、とりあえず、私自身は、私を理解してるわけだし、神様も私のことは100%理解してくれているわけだから、寂しいけれど、それでいいことにしよう!」
と考える。

そして、優しい神様に

「よしよし、がんばっているな。その調子じゃ、たまには、わしに甘えてもいいぞ」
とか言われて、「いい子いい子」してもらっている姿を想像しながら、一眠りすると、その後はすっきり爽やか・・・。

自己満足であろうが、子供だましであろうが、ともかくすっきりすれば何でもいいんだ!・・・と、最近では考えられるようになった。これも日ごろの心の訓練のお陰?!


そして、楽になると、「ああ、単純な性格でよかった・・・」とホッとする。複雑な性格の人ほど、「ドツボ」から、脱出するのが大変なのは、経験上、嫌というほどわかっているから・・・。
単純って、幸せでいる秘訣かもねー。
2003年6月16日
先週、老人保健施設のお手伝いに行ってきた。

「痴呆にかかったおじいさんが大暴れして困っている。
自分の思い通りにできないことがあると暴れるようだ。
暴れ出すと手がつけられなくて、スタッフもケガをしそうになることもしばしば」
と聞いて、こんなアドバイスをした。

「年をとるとできないことがどんどん増えていくものよ。
もともと、がんばり屋で、プライドが高い生き方をしてきた人ほど、年をとって、できないことが増えてくると、
「がんばっているのにできない。私が悪いせい。きっと、みんなから責められる」
と思ってしまい、自分を知らず知らず責めて、苦しくなってしまうの。
こんなときは、「加齢で動かなくなった体」や「病気」を悪者にして、
「悪いのは、年をとったから。病気になったからですよ。全く、年をとるって嫌ですよね。病気って嫌ですよね。あなたはちっとも悪くないですよ!」
といって、気持ちに共感してあげて、さらに、自分を責めないように普段から声をかけることが必要ね」

ちなみに、これは、ごくごく一般的な対処方法。

でも、実際に本人に会ってみると、別のいい対応方法も浮かぶかもしれない・・・と思って、暴れるおじいさんと、ほんのちょっと話してみたら・・・。
すぐに、ピンときた!
彼は昔、すっごいスケベじいさんだったはず!

「ねえねえ、Oさんって、痴呆が進んでないとき、すっごいセクハラオヤジだったんじゃないの?」
と聞いたら、ビンゴ!!!
若い女性のスタッフをおさわりしまくって、問題になってたらしい。若い頃は、相当の遊び人だったと見た!

それで、急遽、対処方法変更。
「甘え上手のスタッフがいるようだったら、「おじさま♪」とか言って、普段から、Oさんに甘えたりスキンシップをはかってあげるといいよ。
それに、これから、夏だから、女性スタッフが浴衣で給仕するっていうのはどうかな?
あ、あと、アダルトビデオを見せたりするのもいいよ。

ついでに、暴れたときには、抱きついて止めて、泣き落としって言うのも聞くかも・・・

もう少し、「潤い」のある生活を普段から心がけてあげると、暴力に走らなくなるかもねー」
と、とんでもない対処方法を伝授した。
スタッフの中にはあきれる人あり、感心する人あり・・・。実に、私ならではの「処方箋」だ(笑)?!

でも、年をとって、痴呆にかかったときって、その人がもっともエネルギーを注ぎ込んでいた事が残りやすいものなのだ。
だから、色恋沙汰が生活の大半を占めていたような人は、年をとってボケても、色恋沙汰が気になるもの。年をとったら、そういう性的なエネルギーは、枯れてしまうなんて、とんでもない、とんでもない!

それを若い人の偏見で、

「もう年をとったのだから、いいかげん清く正しく美しくの生活にしてもいいんじゃないか」
と、若い人の見た「理想の年寄り像」を押し付けて、まじめで味気ない対応をしてしまうと、そういう性エネルギーが有り余っている老人は、時として、暴力に走ることもある。

「人間って、ほんとに、生きてきたように年をとっていくんだなー」
と、思わずほほえましくなったエピソードだった。

しかし、医者になった頃の私は、
「患者から、お尻を触られるなんて、とんでもないっ!そんなことされたら、絶対に、出勤拒否よ!」
と思うくらい、堅物だったのに・・・。

それがいつの間にやら、こんな柔軟な「処方箋」が出せるようになるとは・・・。月日のたつのは恐ろしいものだ?!


2003年6月9日
勇気と孤独と幸せ


妹がさだまさしさんのコンサートに行ってきた。
そこで、聞いてきた言葉にえらく感動していた。

「人間は、「勇気と元気」を持って生まれてくる。でも、この二つは使わないと、どんどん無くなってしまう。
ほんのちょっと、勇気を出して、ほんのちょっと元気を出して、勇気と元気を積み重ねていくと、それが自信に繋がって、生きていく力が湧いてくる。
だから、毎日のほんのちょっとの勇気と元気の積み重ねが大切だ」
というような話だったらしい。

なるほどー、いい話だ!


それに加えて、もう一つ。最近、私が思うこと。
それは、「幸せになるためには、孤独感と向き合う勇気をもつことが、大切だなー」ということ。

矛盾しているように聞こえるかもしれないけれど、人って、「孤独」であることを受け入れたときに、初めて、孤独ではなくなるものだ。
私もそうなのだけど、落ち込んでいるときほど、
 「誰も私のことを、わかってくれる人はいない」
と、いう気分になってしまう・・・。

でも、本当にその通りなんだよね。

悲しいけど、他人には、100%自分の気持ちを理解してもらうことはできないから・・・。
だから、「100%、私のことを理解してくれる人なんていないんだわ!!」って、思ってしまうと、ますます孤独になっちゃう・・・。

こういうときは、とっても苦しいけれど、

「10%理解してもらったことに感謝しよう。そして、残りの90%は、誰よりも自分自身が最高に理解してあげよう!」
と覚悟を決めないと、心が楽にはならないんだよねー。

でも、この考え方って、しっかり「孤独」と向き合えてないとできない。

だから、絶望のどん底にいて、孤独になっているときほど、こんな風に考えるのってすごくエネルギーが要る

でも、それでも、あきらめずに、

「この孤独と、しっかり向き合えるようになることが幸せになる近道だ。
孤独感を自分の力で乗り越える勇気をもつことが、今の私に、一番大切なこと」
と、何度も何度も、どんなに苦しくっても、自分に言い聞かせ続けることで、道が開けてくる…。

ちなみに、孤独になってしまっているときって、
「私とあなたは、違う!!だから、一緒にはいられない!」
と、相手を拒絶してしまっていることが多いみたいだ。
たとえば、お昼に同僚から、「そばを食べに行かない?」と誘われたときに、
「お昼は、私はうどんしか食べないって決めてるの!
どうして、みんなは私のことがわかってくれないのかしら!」
 といって、同僚を責めてしまうと孤独になってしまう。でも、
 「私、そばアレルギーがあって、ダメなの。うどんも食べられる店なら、行きたいな」
といえば、孤独にはならない。

「そんなの当たり前の話じゃない?」と思うかもしれないけれど、いろいろな場面で、この話と似たような状況に陥ってしまっている人は少なくないものだ。
「孤独」から脱出するためには、
「あなたと私は、「違う」けれど、一緒にいられる。「違う」けど、理解できる。「違う」からこそ、助け合える」という心の余裕を作ることが大事かもねー。

ついでに、何度も言っているけれど、小さい幸せを、いかにたくさん探して、感謝できるかも、毎日を楽しくする秘訣だ。

ちなみに、最近、私が見つけた小さな幸せ。
ものすごーーーく大変な仕事が重なって、すごく疲れて、へとへとの状態で、お稽古にいった日のこと。

師匠が、

「髪形、変えたんですか?」
 と一言、声を掛けてくださった。たった、それだけのことだったのだけど、単純な私は、その日一日全部が「お疲れ色」から、すっかり「幸せ色」に塗り変わった気分になった!!

この話を友人にしたら、

「あはは・・・。まったく・・・単純だねー。
でもさー、私だって、「髪を切って、かわいくなったね」って言ってあげたじゃないの! 私の言葉では、幸せ気分にならなかったってわけね。それは、小さな幸せを大切にしているとは言わないわよー」
 と、大笑いされた。

「いやー、もちろん、嬉しかったわよー。でもさー、友達から言われるより、男性から言われる方が、やっぱり、もっと嬉しいものよー。

先輩弟子のOさんだって、以前、
「先生が、「今日の謡いに合わせて、お着物も「杜若」ですね」って、言ってくださったのよー!! 女性はそういうところに目が行くけど、男性は普通、目が行かないものなのに・・。さすが先生よねー。うちの夫なんて、着物はみんな同じに見えるらしいのよ」
 って、喜んでらしたことがあったもの。それが、女心ってもんよ」
なーんていいながら、大笑いした。

でも、やっぱり、もっと幸せを増やしたいから、友人の言葉も、もっと大事にすることにしよーっと。

 ちなみに、その日、「幸せ貯金」をしたのは、言うまでもありません。