ひまわり先生のひとりごと

2003年5月


2003年5月26日
小さな幸せ


大忙しの毎日が続いていましたが、やっと、独り言を更新する暇ができました。
 
少し前に、ある本を読んでいて、「世の中には、「絶対に避けられない運命」と、「変更可能な運命」がある」と、書いてありました。
以来、「どれが避けられなくて、どれが避けられる運命なのだろう」
と、考えていました。

その答えが、週末に友人と話をしていて見つかったような気がしました。

避けられないことは、「その人の人生に起こるキーになる出来事」で、「事故に合う」「病気にかかる」「誰かと出会う。別れる」「転勤、転職する」などというものです。
でも、「その出来事に対して自分がどう反応して、どう対処するか。そして、その反応、対処の結果で起こってくる出来事」というものは、ある程度、良いことにも悪いことにも変える事はできるようです。

例えば、「交通事故に遭う」という運命は避けられなくても、自分が普段から、周囲にどのくらい注意をはらっているか、起こった出来事をどう受け止めるかによって、

「事故の大きさ」「事故の後の不快感」は、変えることができるのです。

そういう「運命」の仕組みみたいなものがわかってくると、

「ああ、何が起こっても、幸せになるか不幸になるかは、自分の気持ち次第だし、自分が乗り越えなければいけない課題が「運命の出来事」によって、刺激されるんだなー」
と思えて、神様の計り知れない意図のすごさを感じる今日この頃です。

とはいえ、日々の生活の中では、やはり、ついつい起こった出来事に対して、幸せよりは、不幸を見てしまいがちになるもの。

私自身も、だいぶ「幸せ探し」が上手になったつもりでいても、

「ああ、気がつかなかったけれど、こうすれば、もっともっと、「幸せ」の数が増えるじゃない!」
と気がつくことがいっぱいあります。人生は、幸せ探しの修行なのかもしれません。

なので、週末から、幸せ探しの道具を2つ、さらに、お部屋に増やしました。

一つは、ひまわりに相談にこられた方の何人かにお勧めしたグッズ。
「幸せ貯金箱」です。
ペットボトルとか、透明なビンなどに、その日見つけた幸せの量に応じて、お金を入れます。
普通の幸せのときは1円。ちょっといい幸せのときは、5円。すごくいいときは10円。特別な幸せがあったときは100円。
貯金箱のお金を見るたびに、「ああ、私はこれだけ幸せが合ったんだ」と、自覚できるのでいいかも・・・。

ちなみに、「ペットボトルをいつまでに、いっぱいにしよう」とかいう目標を立ててしまうと、不幸な気分になるので、ひたすら、たまった小銭だけを見るのがコツです。


もう一つは、「幸せ実現グッズ」です。
「こうなったらいいなー」と思う目標を象徴するようなものを、部屋の中のどこかにおいて、毎日眺めるようにします。そして、あたかも、目標が実現したかのように振舞ってみると、目標が実現しやすくなる・・・という、まあ、よくある願望実現の常套手段です。

私は、目標などを紙に書いたり、絵に描いて壁に張ったり、それらしい写真を飾ったりして、日々の「お祈り」に使ったりしているのですが・・・。

ついつい、マンネリ化してくると、おざなりになってしまいます。
なので、時々、少し刺激的なものにチェンジしたりして、潜在意識を刺激するようにしています。

「♪幸せは歩いてこない。だーから歩いていくんだねー」という歌ではありませんが、努力すればした分だけ、ちゃんと幸せは増えます。コツは、
「明日幸せになるために、今日は辛くてもがんばる」ではなく、
「今日、できる限り、幸せに過ごす」です。

「明日の幸せのために、苦労する」と、毎日苦労を重ねて、10年経っても、苦労ばかりが足跡として残りやすいもの。
でも、「今日、とりあえず、幸せ!」なら、明日も、明後日も、10年後も幸せです。
だからこそ、毎日の小さな幸せを大切にしたいものですね。

2003年5月12日
メインテナンス


連休に弟一家が遊びにきた。
一歳になる姪っ子も遊びにきたのだが、子供の潜在能力にはビックリさせられた。言葉で会話ができなくても、大人の持っている「気」とか「テレパシー」のようなたぐいのものをしっかり読んで、ちゃんと真似をしているからだ。

例えば、私は笑っているときに、ある種独特の「気」を発していることがあるらしいのだが・・・。今まで、私の「気」に完全に共鳴した人は一人しかいなかった。ところが、1歳にならない姪っ子が、完璧に共鳴しているのを今回発見したのだ!

いやー、子供は侮れない。子供はこうやって、大人のすべてを吸収するんだと思ったら、とっても身を引き締められた。


親の中には、「言葉が通じないから、こんなことを考えていても、わからないだろう」と思って、安易に子育てしている人も多いはず。でも、子供はちゃんと、言葉にならない感情まで理解しているのだ。そう思うと、子育て業は、半端じゃない仕事だと、しみじみ痛感した。


ところで、連休中は持病の膵炎がぶり返して体調が悪かった上に、十分、休みが取れなかったので、先週は、ひたすら、ごろ寝モードに走っていた。

仕事帰りに、公園を散歩したり、休日の半日をボーっと千鳥が淵で過ごしたり、近所の遊歩道でぶらぶらしたり・・・。

ともかく、ひたすら、自分自身のメインテナンスに時間をかけることにした。

こういう商売をしていると、自分のメインテナンスの大切さをしみじみ感じる。実は、自分のメインテナンスがしっかりできていないと、「不幸な出来事」をひきつけやすいからだ。それになにより、人に大きな影響力を与える仕事をしている人ほど、自己メインテナンスができてないと、周囲の人に与える被害も大きくなる。


例えば、小さな子供がちょっとイライラして、隣の子供にケンカをふっかけても、社会への影響は小さいが、ブッシュ大統領がイライラして、周りの人にけんかを吹っかけたら、国家を上げての大騒ぎになってしまうようなもの・・・。


でも、そういう社会の仕組みというか、流れというものをわかっている人は少ない。そして、「自分の心を平穏に保つことよりも、まず、目先のお金のことをなんとかしなきゃ。目先の出世をなんとかしなきゃ」ということに目がいってしまうために、だんだん社会の歯車が、狂ってきてしまう・・・。


そういう「社会のゆがんだ流れ」を見ているととても悲しい気持ちになるけれど、それが、人間の性ってものかもしれない・・・とも思う。