ひまわり先生のひとりごと

2002年7月

2002年7月22日
先週、「気分がうつ」みたいな話を書いたら、たくさんの皆様方から、ご心配いただきました。ありがとうございます。&、ごめんなさい。もうすっかり元気です。

風邪が治って、仕事をバリバリはじめて、体を動かす時間ができたら、単純に元気になったばかりか、週末には脳天気にも、
「私って、つくづく幸せな人間よねー。私の周りにいる仲のいい人達って、誰一人として、嫌な人はいないし、優しくて楽しい人たちだし・・・。ややこしい問題を直接ぶつけてくる人、誰もいないもん。あー、あらためて、毎日の幸せに感謝したい気持ちだわー」
と、しみじみ幸せにひたってました。

どうも、先週まで、身近でいろいろなゴタゴタを見聞きして、

「私がもし、こういうゴタゴタのど真ん中にいたら、どんな気分だろう。十数年前のときみたいに、気分は最悪かも・・・」
とか思って、くらーーい「気」をまともにくらって、自分のことのように感じてたからに落ち込んでたみたい。

ところで、週末から、今書いている2冊目の本の4度目の書き直しにとりかかっています。大至急の書き直しなので、しばらくは、大忙しの毎日になりそうです(ああ、また、お稽古の時間が減る・・・)。今回秋に出版の予定の本は、ほんとにほんとに、めちゃくちゃ手間隙をかけました。こんなにがんばって、本を書くのは、あとにも先にも、この2冊だけでしょう。「手塩にかける」って、こういうことをいうんだろうなあ・・・。こうご期待?
2002年7月17日
夢は正直

持病の膵炎が完治していないところへもってきて、風邪をひいて週末からダウンしてしまい、気分はうつ傾向。ついでに、うつ気分になってくると、ついつい、
 「生きるのって、面倒くさいなー。みんな、何が幸せで生きているんだろう・・・」
とか、考えてしまう。昔の困った心の癖の名残だ。

ついでに、週末、「自給自足の田舎暮らし生活」のテレビ番組を見たり、弟夫婦の家に遊びにいったりして、「平凡でのんびりした暮らし」を目の当たりにして、

「人間、結局行き着くところ、「究極の幸せ」って、こういう平凡で穏やかで波風のない毎日ってことなんだろうなー。マイペースで、平凡な暮らしをしている人を見ると、心が救われるよなー」

なんて、しみじみ思いながらも、今一歩、爽やかな気分になれない。なぜだろうと思っていたが、今朝見た夢を分析してみて、納得! やっぱり、夢は嘘をつかないね。


ちなみに、今朝見た夢は3つ。

「具合が悪くて、学校を休んでしまったせいで、数学(T先生が担当)のテストで百点がとれず、べそをかいて落ち込んでいる」

「大事なバレッタ(髪止め)を周りの人からいじわるされて取り上げられる。とても憤慨して、自分の怒りが抑えきれなくなる。すごーく女っぽくて陰湿でいじわるな怒り方をしながらも、内心、「気持ちはわかるけど、そういう怒り方をしなくてもいいのに」とハラハラしている」
 「家にこもって、すごく幸せな気分いっぱいで、かわいい小物をいろいろ作っている」
 
結局、夢を分析してわかったのは、こういうこと。

ここ2ヶ月ほど、仕事が忙しかった上、体を壊してしまったので、フラメンコもお能もまともに練習ができなかったのが、相当ストレスだったみたい。やっと先週半ばから、練習できる時間ができたと思ったら、またまた風邪引いてダウンしてしまった。だから、自分の弱い体が、情けなくって、「こんな体、ヤダ!いらない!」という気分だったみたい。


また、2つ目の夢で思い当たるのは、先週の木曜から、ずっと考えていたこと。
「世の中には、私と同じくらいのエネルギーの振り幅をもっていても、あれだけプラス方向に振り幅が大きい人がいるんだなあ。プラス方向の振り幅が大きいと、物ごとをこんな風に素直に受け止められるのかあ。すごいなあ、うらやましいなあ。
きっと、「陰湿、残忍、邪悪・・・」といった「根底の悪」にあまり染まってないと、その分、人を素直に信じられるのかもしれないなー。それに比べて、私って、なんてマイナス側の振り幅が大きいんだろう! まあ、カウンセリング業をするには、そういう要素がないと、地獄をはいずってる人に共感できないわけだけど・・・。
いいなあ・・・あんなプラスのエネルギー、私にもあったらなー」
と思うことがあった。それで、久しぶりに、自分が昔重ねた罪の数々を思い出してしまい、知らない間に落ち込んでいたみたい・・・。

こんな風に、落ち込んで具合の悪い時、私にとって一番いい心のメインテナンス方法は「仕事をすること」と、「家にこもって絵を描いたり、手芸をしたりする」ことだ。ところが、「頭」は、「運動しないと、体が鈍る」とせかすものだから、とても気持ちが落ち着かなかったというわけだ。

やれやれ、患者さんには、
「うつになっている時ほど、自分をどこかで責めているものです。自分を責めずに、体に優しい生活を」
と、客観的にアドバイスできるくせに、ほんとに自分のこととなると、なかなかわからないんだから! 仕方ないなあ・・・・。

ま、これからも、なにか困ったことがあったら、ときどき夢分析を利用して、自分で自分にアドバイスしよーっと。

2002年7月3日
仕事の整理

ガラス工芸をやっている妹の仕事が、最近、かなり繁盛しているらしい。もともとゆったりペースが得意な彼女は忙しさにヒーヒーしている。なので、今朝は、「どうやって、仕事や生活を整理するか」という話で盛り上がった。

仕事や生活を切り捨てる、というのすごく難しいことだ。

「これを捨てちゃって、後で惜しくなったらどうしよう。
断ったら横暴な感じに受け取られたらどうしよう。人に迷惑がかかるのも、困るし。
切り捨てると言っても、こんなメリットもあるわけだし・・・。
どんどん捨てたら、何も残らないかもしれないし・・・」
と、あれこれ考えていると、なかなか捨てられない。かといって、捨てずにいると、いつも大荷物を抱えていて苦しいし、その中には嫌なものもいっぱい混じっているから、気分も悪くなりやすい。

こんな時、思い切って、自分に都合の悪いものから切り捨てていくと、自分の周りには楽しくて、気持ちのいいものばかりが残って、生活が単純になるからどんどん楽になる。

私自身もそんな感じで、仕事は上手にセーブしながらやっている。

「もっと、「ひまわり」を大々的に広げて、社会活動の一つにしたら?」
と言われるけれど、手を広げると、自分の目が届かないことが多くなって、困った事態もたくさん出てくるので、必要以上に手は広げないことにしている。

「それじゃ、いつまでたっても、社会は変わりませんよ!よい社会にしたいと思ってないんですか!」


とご意見くださる方もいらっしゃるのだけれど、私自身がいっぱいいっぱいになって、患者さんに辛い思いをさせたら、それこそ、小さな社会悪を産んでしまうと思うので、無理はしない。


「ガンガン宣伝もしたら?」

という意見もあるけれど、宣伝をすれば、それだけ雑多な患者さんがきて、私の不得意分野の相談(最先端の治す医療ね)を持ち込まれることもある。でも、口コミや本、ホームページなどで、私の人柄を知ってきてくださる方であれば、私と波長の合わない人はほとんどこないので、信頼関係を持ちやすく、確実に治療効果をあげられる。そうすれば、相談にこられた人も、私もハッピーだ。

さらに、仕事の内容も、相手に合わせて「いい意味の手抜き」をしている。


例えば、あれこれ分析して、じっくり考えなければ納得しない人には、

「Aのメリットはこう。デメリットはこんな感じです。こちらを選んだ時に起こることは・・・」
と、詳しく説明するけれども、あまりややこしいことを考えられない人には、細かい説明はしない。丁寧に説明しすぎると、こういう人はかえって混乱するからだ。こういう人には、
「AとBなら、Aの方がこういう理由で得ですよ」
と、単純な回答だけを話す。その方が、相手もわかりやすくてありがたいし、私も省エネできて、ありがたい。

ついつい、まじめな人間ほど、
「なにごとも、同じようにきっちりこなさなければ」
と思いがちだけれど、上手に手抜きをした方が、逆に、自分も相手もハッピーになれることは多いものだ。でも、でも、「切る」とか、「手抜きする」って、案外、勇気がいるんだよね。

(今日も、ルナ子が何か言っています)


2002年7月1日
平凡な幸せ

先週は、いろいろな「事件」があった一週間だった。友人、知り合い、非常勤勤務先、その他、あちこちで「大事件」が勃発していて、いくら「ため息」をついでも、つき足りないくらい・・・。

さまざまな「事件」の原因は、いずれも、
「自分を守ろうとするあまり、「相手を悪者にして、自分を正当化しよう」としたこと」
にあった。まあ、今の世の中、人々も社会も批判精神旺盛で、ほんのちょっとしたことでも、神経質に、
「訴訟だ。裁判だ。責任追及だ」
と、人の揚げ足をとる傾向があるから、仕方ないのかもしれないけど・・・。でも、
「自分がこの人の立場だったら、どんな気持ちになるか」
と考えれば、そんなにひどいことはできないはずなのに・・・。案外、人って、そういう発想をしないものなのね。まあ、でも、人間は弱い生き物だから、しょうがないか・・・・。

でも、今回、いろいろな「事件」に遭遇して、しみじみ感激したこともある。
まず、最近いかに平和で幸せな世界で暮らしていたのか、あらためて実感したこと(まあ、問題が勃発してる気配は感じていても、あえて見ないようにしたり、考えないようにしてたっていうのもあるけど・・・)。

そして、一番嬉しかったのは「事件」に巻き込まれて「傷ついている人々」のことを、ものすごく心配している人たちがいっぱいいるのを発見したこと。

さだまさしさんの歌に、
「どこかに必ず、あなたのことを心配している人がいる。勇気を出して、見つめてごらん」
って、フレーズがあった気がするけど、ほんとに、普段は気がつかないだけで、
「ものすごーく心配してくれる優しい人達って、いっぱいいるんだなー」
と、思った(中には、心配のあまり、わんわん大泣きしている人までいた)。そういう蔭の優しい人たちは、口下手で、ちょっぴり勇気がないから、
「なにか事を起こして、事態がさらに悪くなったら・・・と考えると、行動できない」
と、二の足を踏んでいる。そういう人たちを見ていて、
「心の中でどんなに心配していても、言葉で伝えないと、気持ちが伝わらないことだってあるのになー。上手に言わなきゃ、って思わなくても、一生懸命な気持ちはちゃんと伝わるものだし、そうした一言で、救われることってあるのになあ・・・」
と、ちょっぴり歯がゆくもなったけれど、それよりなにより、
「こんなに優しい人たちがいっぱいいるなんて、世の中、捨てたもんじゃないなー」
と、しみじみ嬉しくなった。

実は、私も10年くらい前、いろいろな人たちからめちゃめちゃに傷つけられて、すっごく落ち込みモードに入っていたことがある。
「私一人いなくなったって、どうせ、世界は回るんだ。私がいなくなれば、かえって、世の中、平和になるかも。誰も、私のことなんて、本気で心配しているわけがない。「心配している」と口先では言いながら、「面倒なやつ」って思ってるに違いない」
と思い込んでいて、自殺しようかどうしようか迷っていた。

振り返ってみると、あの時、私の周りの人達も、
「私の落ち込みがひどすぎたから、何て言っていいのかわからなかったんだろうなー。
そうだ、あの人も、この人も、きっと私のことを心配してくれてたはず。自分の悲しみしか見えていなくて、周りの人の優しさに気がつかなかっただけなんだなー」
と、今になってみると素直に思えた。当時の友人たちに、今更ながら、感謝したい気持ちだ。

悲しいことがあると、嫌なことも見えるけど、本当の人の優しさにも気がつける。そして、平凡で幸せな毎日に、改めて感謝の気持ちも持てるもんだ。

ついでに、この10年、自分でも「心の訓練」を重ねて、さらに、さっぽりとしたラテン系の友人にも恵まれたおかげで、気がついたら、
「真実を知らずに勝手に憶測だけで批判する人や、物事をすべて悪意にとる人の言動は気にしないようにしよう。誰がなんと言おうと、私自身が、「これが今の状況の中で、自分と周りの人たちにとって、一番いいと信じられる道」を迷わず進んでいこう」
と、思えるようになれていた。我ながら、自分の努力を褒めてやりたいと思ったと同時に、心強い友人たちに感謝の気持ちでいっぱいになった。