ひまわり先生のひとりごと (2002年7月) 
  2002年7月1日
平凡な幸せ

先週は、いろいろな「事件」があった一週間だった。
友人、知り合い、非常勤勤務先、その他、あちこちで「大事件」が勃発していて、
いくら「ため息」をついでも、つき足りないくらい・・・。

さまざまな「事件」の原因は、いずれも、
「自分を守ろうとするあまり、「相手を悪者にして、自分を正当化しよう」としたこと」にあった。
まあ、今の世の中、人々も社会も批判精神旺盛で、ほんのちょっとしたことでも、神経質に、
「訴訟だ。裁判だ。責任追及だ」
と、人の揚げ足をとる傾向があるから、仕方ないのかもしれないけど・・・。
でも、「自分がこの人の立場だったら、どんな気持ちになるか」
と考えれば、そんなにひどいことはできないはずなのに・・・。
案外、人って、そういう発想をしないものなのね。
まあ、でも、人間は弱い生き物だから、しょうがないか・・・・。

でも、今回、いろいろな「事件」に遭遇して、しみじみ感激したこともある。
まず、最近いかに平和で幸せな世界で暮らしていたのか、
あらためて実感したこと(まあ、問題が勃発してる気配は感じていても、
あえて見ないようにしたり、考えないようにしてたっていうのもあるけど・・・)。

そして、一番嬉しかったのは「事件」に巻き込まれて「傷ついている人々」のことを、
ものすごく心配している人たちがいっぱいいるのを発見したこと。

さだまさしさんの歌に、
「どこかに必ず、あなたのことを心配している人がいる。
勇気を出して、見つめてごらん」
って、フレーズがあった気がするけど、ほんとに、普段は気がつかないだけで、
「ものすごーく心配してくれる優しい人達って、いっぱいいるんだなー」
と、思った(中には、心配のあまり、わんわん大泣きしている人までいた)。

そういう蔭の優しい人たちは、口下手で、ちょっぴり勇気がないから、
「なにか事を起こして、事態がさらに悪くなったら・・・と考えると、行動できない」
と、二の足を踏んでいる。そういう人たちを見ていて、
「心の中でどんなに心配していても、言葉で伝えないと、
気持ちが伝わらないことだってあるのになー。
上手に言わなきゃ、って思わなくても、一生懸命な気持ちはちゃんと伝わるものだし、
そうした一言で、救われることってあるのになあ・・・」
と、ちょっぴり歯がゆくもなったけれど、それよりなにより、
「こんなに優しい人たちがいっぱいいるなんて、世の中、捨てたもんじゃないなー」
と、しみじみ嬉しくなった。

実は、私も10年くらい前、いろいろな人たちからめちゃめちゃに傷つけられて、
すっごく落ち込みモードに入っていたことがある。
「私一人いなくなったって、どうせ、世界は回るんだ。
私がいなくなれば、かえって、世の中、平和になるかも。
誰も、私のことなんて、本気で心配しているわけがない。
「心配している」と口先では言いながら、「面倒なやつ」って思ってるに違いない」
と思い込んでいて、自殺しようかどうしようか迷っていた。

振り返ってみると、あの時、私の周りの人達も、
「私の落ち込みがひどすぎたから、何て言っていいのかわからなかったんだろうなー。
そうだ、あの人も、この人も、きっと私のことを心配してくれてたはず。
自分の悲しみしか見えていなくて、周りの人の優しさに気がつかなかっただけなんだなー」
と、今になってみると素直に思えた。当時の友人たちに、
今更ながら、感謝したい気持ちだ。

悲しいことがあると、嫌なことも見えるけど、本当の人の優しさにも気がつける。
そして、平凡で幸せな毎日に、改めて感謝の気持ちも持てるもんだ。

ついでに、この10年、自分でも「心の訓練」を重ねて、
さらに、さっぽりとしたラテン系の友人にも恵まれたおかげで、気がついたら、
「真実を知らずに勝手に憶測だけで批判する人や、
物事をすべて悪意にとる人の言動は気にしないようにしよう。
誰がなんと言おうと、私自身が、「これが今の状況の中で、自分と周りの人たちにとって、
一番いいと信じられる道」を迷わず進んでいこう」
と、思えるようになれていた。

我ながら、自分の努力を褒めてやりたいと思ったと同時に、
心強い友人たちに感謝の気持ちでいっぱいになった。




  2002年7月3日
仕事の整理

ガラス工芸をやっている妹の仕事が、最近、かなり繁盛しているらしい。
もともとゆったりペースが得意な彼女は忙しさにヒーヒーしている。
なので、今朝は、「どうやって、仕事や生活を整理するか」という話で盛り上がった。


仕事や生活を切り捨てる、というのすごく難しいことだ。

「これを捨てちゃって、後で惜しくなったらどうしよう。
断ったら横暴な感じに受け取られたらどうしよう。人に迷惑がかかるのも、困るし。
切り捨てると言っても、こんなメリットもあるわけだし・・・。
どんどん捨てたら、何も残らないかもしれないし・・・」
と、あれこれ考えていると、なかなか捨てられない。
かといって、捨てずにいると、いつも大荷物を抱えていて苦しいし、
その中には嫌なものもいっぱい混じっているから、気分も悪くなりやすい。


こんな時、思い切って、自分に都合の悪いものから切り捨てていくと、
自分の周りには楽しくて、気持ちのいいものばかりが残って、
生活が単純になるからどんどん楽になる。


私自身もそんな感じで、仕事は上手にセーブしながらやっている。

「もっと、「ひまわり」を大々的に広げて、社会活動の一つにしたら?」
と言われるけれど、手を広げると、自分の目が届かないことが多くなって、
困った事態もたくさん出てくるので、必要以上に手は広げないことにしている。


「それじゃ、いつまでたっても、社会は変わりませんよ!
よい社会にしたいと思ってないんですか!」


とご意見くださる方もいらっしゃるのだけれど、私自身がいっぱいいっぱいになって、
患者さんに辛い思いをさせたら、それこそ、小さな社会悪を産んでしまうと思うので、無理はしない。


「ガンガン宣伝もしたら?」

という意見もあるけれど、宣伝をすれば、それだけ雑多な患者さんがきて、
私の不得意分野の相談(最先端の治す医療ね)を持ち込まれることもある。
でも、口コミや本、ホームページなどで、私の人柄を知ってきてくださる方であれば、
私と波長の合わない人はほとんどこないので、信頼関係を持ちやすく、
確実に治療効果をあげられる。そうすれば、相談にこられた人も、私もハッピーだ。


さらに、仕事の内容も、相手に合わせて「いい意味の手抜き」をしている。


例えば、あれこれ分析して、じっくり考えなければ納得しない人には、

「Aのメリットはこう。デメリットはこんな感じです。こちらを選んだ時に起こることは・・・」
と、詳しく説明するけれども、あまりややこしいことを考えられない人には、
細かい説明はしない。丁寧に説明しすぎると、こういう人はかえって混乱するからだ。
こういう人には、

「AとBなら、Aの方がこういう理由で得ですよ」
と、単純な回答だけを話す。その方が、相手もわかりやすくてありがたいし、
私も省エネできて、ありがたい。


ついつい、まじめな人間ほど、
「なにごとも、同じようにきっちりこなさなければ」
と思いがちだけれど、上手に手抜きをした方が、
逆に、自分も相手もハッピーになれることは多いものだ。
でも、でも、「切る」とか、「手抜きする」って、案外、勇気がいるんだよね。


(今日も、ルナ子が何か言っています)




  2002年7月17日
夢は正直

持病の膵炎が完治していないところへもってきて、
風邪をひいて週末からダウンしてしまい、気分はうつ傾向。
ついでに、うつ気分になってくると、ついつい、

 「生きるのって、面倒くさいなー。みんな、何が幸せで生きているんだろう・・・」
とか、考えてしまう。昔の困った心の癖の名残だ。

ついでに、週末、「自給自足の田舎暮らし生活」のテレビ番組を見たり、
弟夫婦の家に遊びにいったりして、「平凡でのんびりした暮らし」を目の当たりにして、

「人間、結局行き着くところ、「究極の幸せ」って、
こういう平凡で穏やかで波風のない毎日ってことなんだろうなー。
マイペースで、平凡な暮らしをしている人を見ると、心が救われるよなー」


なんて、しみじみ思いながらも、今一歩、爽やかな気分になれない。
なぜだろうと思っていたが、今朝見た夢を分析してみて、納得! 
やっぱり、夢は嘘をつかないね。


ちなみに、今朝見た夢は3つ。

「具合が悪くて、学校を休んでしまったせいで、数学(T先生が担当)のテストで
百点がとれず、べそをかいて落ち込んでいる」

「大事なバレッタ(髪止め)を周りの人からいじわるされて取り上げられる。
とても憤慨して、自分の怒りが抑えきれなくなる。
すごーく女っぽくて陰湿でいじわるな怒り方をしながらも、内心、
「気持ちはわかるけど、そういう怒り方をしなくてもいいのに」とハラハラしている」

 「家にこもって、すごく幸せな気分いっぱいで、かわいい小物をいろいろ作っている」
 
結局、夢を分析してわかったのは、こういうこと。

ここ2ヶ月ほど、仕事が忙しかった上、体を壊してしまったので、
フラメンコもお能もまともに練習ができなかったのが、相当ストレスだったみたい。
やっと先週半ばから、練習できる時間ができたと思ったら、
またまた風邪引いてダウンしてしまった。
だから、自分の弱い体が、情けなくって、「こんな体、ヤダ!いらない!」
という気分だったみたい。


また、2つ目の夢で思い当たるのは、先週の木曜から、ずっと考えていたこと。
「世の中には、私と同じくらいのエネルギーの振り幅をもっていても、
あれだけプラス方向に振り幅が大きい人がいるんだなあ。
プラス方向の振り幅が大きいと、物ごとをこんな風に素直に受け止められるのかあ。
すごいなあ、うらやましいなあ。

きっと、「陰湿、残忍、邪悪・・・」といった「根底の悪」にあまり染まってないと、
その分、人を素直に信じられるのかもしれないなー。
それに比べて、私って、なんてマイナス側の振り幅が大きいんだろう! 
まあ、カウンセリング業をするには、そういう要素がないと、
地獄をはいずってる人に共感できないわけだけど・・・。

いいなあ・・・あんなプラスのエネルギー、私にもあったらなー」と思うことがあった。
それで、久しぶりに、自分が昔重ねた罪の数々を思い出してしまい、
知らない間に落ち込んでいたみたい・・・。


こんな風に、落ち込んで具合の悪い時、
私にとって一番いい心のメインテナンス方法は「仕事をすること」と、
「家にこもって絵を描いたり、手芸をしたりする」ことだ。
ところが、「頭」は、「運動しないと、体が鈍る」とせかすものだから、
とても気持ちが落ち着かなかったというわけだ。


やれやれ、患者さんには、
「うつになっている時ほど、自分をどこかで責めているものです。
自分を責めずに、体に優しい生活を」

と、客観的にアドバイスできるくせに、ほんとに自分のこととなると、
なかなかわからないんだから! 仕方ないなあ・・・・。


ま、これからも、なにか困ったことがあったら、ときどき夢分析を利用して、
自分で自分にアドバイスしよーっと。




  2002年7月22日
先週、「気分がうつ」みたいな話を書いたら、
たくさんの皆様方から、ご心配いただきました。
ありがとうございます。&、ごめんなさい。もうすっかり元気です。


風邪が治って、仕事をバリバリはじめて、体を動かす時間ができたら、
単純に元気になったばかりか、週末には脳天気にも、

「私って、つくづく幸せな人間よねー。
私の周りにいる仲のいい人達って、誰一人として、嫌な人はいないし、
優しくて楽しい人たちだし・・・。
ややこしい問題を直接ぶつけてくる人、誰もいないもん。
あー、あらためて、毎日の幸せに感謝したい気持ちだわー」

と、しみじみ幸せにひたってました。

どうも、先週まで、身近でいろいろなゴタゴタを見聞きして、

「私がもし、こういうゴタゴタのど真ん中にいたら、どんな気分だろう。
十数年前のときみたいに、気分は最悪かも・・・」

とか思って、くらーーい「気」をまともにくらって、
自分のことのように感じてたからに落ち込んでたみたい。


ところで、週末から、今書いている2冊目の本の4度目の書き直しに
とりかかっています。
大至急の書き直しなので、しばらくは、大忙しの毎日になりそうです
(ああ、また、お稽古の時間が減る・・・)。
今回秋に出版の予定の本は、ほんとにほんとに、めちゃくちゃ手間隙をかけました。
こんなにがんばって、本を書くのは、あとにも先にも、この2冊だけでしょう。
「手塩にかける」って、こういうことをいうんだろうなあ・・・。こうご期待?





←ひとりごとTOPへ

→次月のひとりごとへ